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占い一言居士:
隣の韓国では今改名がさかんに行われているという。それは、「私の名前は
キム・サムスン」という人気ドラマで改名を申請するシーンがあるからとい
うわけではないが、名前の故に自分が多くの損失を被ってきたという人もい
るからだ。それだけ名前というものが持つ影響の強さを考えさせられる。だ
からこそ改名は自分の遺伝子スイッチをオONにできる名前にしたいものだ。
占い一言居士
命名に対する親の想いは、自然と男の子は男の子らしく、女の子は女の子ら
しくという漠然としているが大きな願いに満ちあふれている。事実子供は自
然の摂理に導かれて育つ。大きな親の想いが命名の祭に、仕事や結婚、人間
会計など様々な願いに細分化されてくるのだ。その湧きいずる自然な想いこ
そ尊いものなのだ。その中心ポイントをずらしてはならない。
占い一言居士
占いというといまだに、「私いつまでいきられますか?」こんなことを質問
する人がいる。占いで人の生死が分かるなら神様や仏様入らないということ
になる。いい加減な占い師ほど人の生死や運不運の不安を駆り立てる。もと
もと占いは今後の方向性を決めるためのものであり、それによって様々な準
備をするためのものである。神や仏の領域を侵す占い師は言語道断だ。
占い一言居士
三重県のデパートが「お休み処」を「おもてなし処」と改名したそうだ。こ
の改名は効果が期待できそうだ。何故かというと、お休みというのは、「勝
手に休めバー」ということになるが、「おもてなし処」というのは、ちゃん
と接待してくれるという意味があるからだ。このように改名というのはイメ
ージを大きく転換するチャンスでもあるのだ。
占い一言居士
改名はやっぱり開命ということになろうか?自分で自分の運命を切り開くき
っかけを作ることになるから、開命ということになるのだろう!名前に対す
る価値観は古代より日本人の中には連綿と受け継がれている。自分の本名は
自分の愛する人にしか明かさなかったからというから、名前から受け継ぐ力
は相当なものがあったに違いない。それは現代でもいえることではなかろう
か?
占い一言居士:
占いというのは面白いということが最近見えてきた。占ってもらってかえっ
てそれにとらわれてしまう人がいるのだが、占いはそれをどのように自分が
利用するかということが基本なのだ。ちょうどコンサルティングやカウンセ
リングを受けるのと、それからお住さんのありがたいご講話と似ている。話
で満足してしまう人がいる。そうではないはずだ。実践した結果を出してみ
ると自分が面白くなる。
占い一言居士:
自分と相性的に会う人間ばかり探そうとする人がいるが、そういう人は自分
を成長させようとする意識が薄いのかも知れない。逆縁の仏という言葉があ
る。実は自分を成長させてくれる人というのは自分と最も合わない人という
ことなのだろう!そういう人は自分を見つめ直させてくれるきっかけを作っ
てくれるから自分が成長するのである。相性というのは合う人も合わない人
も必要なのだ。
占い一言居士:
人生には転換点というものがある。歴史に転換点があるのと同じだ。それは
人によって異なるのだが、国も人も共通の事柄がある。それは、それまでの
自分の生き方に行き詰まりを感じているということだ。別にすぐに問題があ
るわけでもないのにだ。そういうところに自分を一新する何かを見つけよう
とするエネルギーが生まれる。改名というのはそういう一新するエネルギー
を持っている。
占い一言居士:
命名に夢はなくてはならない。同時に、命名にはドラマも必要である。命名
にドラマがあるからこそ、命名に価値が生まれる。橋の下から拾われたので、
拾雄と名づけられたとしよう!それでも、そこには養い親との出会いの運命
があったではないか?それが生へとつながる大きなチャンスになった。そこ
に価値がある。命名でこんなふうに親は努力して悩んだ。それは命名を通し
て子への愛の伝達という価値に変わるのだ。
占い一言居士:
占いに道を求める人が多くいるのは、それだけ占いが人々の心に受け入れら
れている証拠だろう!それは、理屈では分からないが見えない世界に対する
恐れや、何かのパワーを心が感じているかに違いない。心理学が人の心を読
み明かそうと躍起であるが、人の心というのは物理的な概念を越えているから、
心は神秘なのだ。だからこそ、占いを通して神に尋ねるという心境になるの
だ。
占い一言居士:
相性占いというのは、結構大変だ。複雑になってから相談に来るからだ。そ
んなに糸が絡まってしまう前に、相談にきていれば打つ手があっただろうに
と思うこともある。結局相性占いは、どちらかというとコーチングまがいに
なってしまうことが多い。
占い一言居士:
少し前に、高等学校の文化部の展覧会が21世紀美術館で開かれた。そこの
書の分野で”夢”の一字が書かれた作品が2点あった。いずれも秀逸なでき
と思えたのだが、そこには優雅ではあっても「力」が感じられなかった。名
前も同じである。改名をしても運命式に「力」がなければ、道を開くことは
できない。
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