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平山亨(ひらやまとおる)さん

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■平山亨(ひらやまとおる)さん

映像プロデューサー
「子供番組をバカにする人もいたけれど、僕は面白くてたまらなかった。子どもに近いのかもね」=竹田津敦史撮影
1929年、東京都生まれ。54年に東京大を卒業し、東映に入社。65年に東京本社テレビ部プロデューサー。多くのヒーロー番組を企画。著書に「仮面ライダー名人列伝」(風塵社)など。

 

平山亨(ひらやまとおる)さん

■不本意の転身

 社会派映画にあこがれて、東映に入社。配属された京都撮影所は時代劇映画の全盛期で「スターさん」がひしめきあっていた。11年間の助監督を経て、監督デビューする。
ところが、映画の斜陽化とともに「東京本社でテレビプロデューサーに」と声がかかる。「業界では電気紙芝居とバカにしていたから、嫌だったねえ」。映画とテレビではシステムが違う。勝手が分からないまま企画書を書き、テレビ局で頭を下げ続けた。

 転機は「悪魔くん」(水木しげる原作)を映像化した時だった。東映初の特撮テレビドラマとなった「悪魔くん」は、子供の人気を獲得。途端に、テレビ局が平山の企画に注目し始める。
71年には石森章太郎(当時)原作の「仮面ライダー」をプロデュースする。労働争議の関係で既存の撮影所が使えず、主役の藤岡弘が撮影中に骨折するなど、滑り出しは順調ではなかった。

 「でも、とにかくこの作品を当てないと、の一念だった」と振り返る。優秀な腕を持ちながら、平山同様、京都を追われた「仲間」が大勢いる。作品を当てて、仕事を増やし、また仲間と一緒に映像の仕事をしたいと思った。
幸い、仮面ライダーは視聴率30%超を記録。日本に変身ブームを巻き起こした。

 仕事の依頼が殺到し、週に10本近い作品を掛け持ちしたこともある。「人造人間キカイダー」「秘密戦隊ゴレンジャー」「がんばれ!!ロボコン」など、数え切れないほどの特撮番組を作り出した。
89年、5年間の嘱託を経て、東映を退職。その後も変わらずに企画書を書いたが、フリーとなってからの企画はなかなか通らない。バブルが崩壊し、映像業界に余裕もなくなっていた。

■長期のリハビリ

 ある夏の明け方、自室で企画書を書いていた平山は、突然倒れる。脳内出血だった。記憶は1週間戻らず、死線をさまよい、40日間の入院と長期のリハビリを余儀なくされた。それでも企画書のことしか頭になく、退院の翌日、映像会社を訪問した。

 そのがむしゃらさの根底にある気持ちは、「仮面ライダー」を作った時と同じだ。時が流れ、かつて共に番組を作った仲間が、定年などで映像作りの第一線を退くことを余儀なくされた。「志もやる気も、作品を作る腕もあるのに『場』がない彼らと、また一緒に仕事をしたいんだ」
2006年には、特撮ヒーロー番組のアクションを担当する事務所、レッド・エンタテインメント・デリヴァーの取締役に就任。アクションとも連携した企画を考案中だ。

 「何回企画がボツになっても腐らない。紙と鉛筆さえあれば、新しい企画を作れるんだから」と笑う平山の夢は、100歳まで仕事を続けること。子供たちに夢と希望を与えるような作品を、再び作りたいと考えている。
(敬称略)
鈴木美潮
(2007年12月25日 読売新聞)

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■コツコツが運命を開拓する

「社会派映画にあこがれて、東映に入社。配属された京都撮影所は時代劇映画の全盛期で「スターさん」がひしめきあっていた。11年間の助監督を経て、監督デビューする。
ところが、映画の斜陽化とともに「東京本社でテレビプロデューサーに」と声がかかる。「業界では電気紙芝居とバカにしていたから、嫌だったねえ」。映画とテレビではシステムが違う。勝手が分からないまま企画書を書き、テレビ局で頭を下げ続けた。
転機は「悪魔くん」(水木しげる原作)を映像化した時だった。東映初の特撮テレビドラマとなった「悪魔くん」は、子供の人気を獲得。途端に、テレビ局が平山の企画に注目し始める。」

平山亨さん、映画監督を夢見てきたのに、社会情勢が彼を不遇の現場へと誘ってしまった。映画からテレビへの転身である。
それでも、くさらないでコツコツと企画書を書いて頭をさげ続けた。
そこにポイントがある。

その平山亨さんの運命式を見てみよう!
<平山亨さんの運命式>

 9  8 15

 6 16 10

13  8 11

<平山亨さんの流運>

19 17 15 12 10 17 15 12

15 12 10 17 15 12 10 17

平山亨さんの運命式を見てみると、どこか運命式が空回りしていることに気がつく。それは、自分の主体性とリーダー型の強さ、そして物事に対する思い入れ、頑固でまじめなところ、こういう性格的な要素があるにもかかわらず、仕事運が見栄えがしない。それに人気運も人に気に入られようとするよりも、どちらかというと気をつかうところがあるのに気をつかうのが嫌な人なのでこれも今一といったところ。

こんなにカクトひどい運勢かと思われるでしょうが、そうでもないのです。実は運命式というのは、扱い方次第なのです。自分の運命式にあった方法をしっかりと行えば、運命式が動き始めるのです。動いてくれると、あとは運勢がやってくるのを待てばいいということになります。

この平山亨さんの場合は、そのポイントが、「思い入れ」と「コツコツ」なのです。自分の思い入れが強い分だけ、慣れない現場でコツコツを実践したのでしょう!これは親分気質の平山亨さんにとってはかなりきついことであったと思います。
でも、コツコツを忘れませんでした。そこが運勢を引き寄せてきたポイントなのです。
そして彼の流運(運勢の流れ)は、仕事を成就することのできるときに入っていました。

◆強い思い込み効果

「でも、「とにかくこの作品を当てないと、の一念だった」と振り返る。優秀な腕を持ちながら、平山同様、京都を追われた「仲間」が大勢いる。作品を当てて、仕事を増やし、また仲間と一緒に映像の仕事をしたいと思った。
幸い、仮面ライダーは視聴率30%超を記録。日本に変身ブームを巻き起こした。仕事の依頼が殺到し、週に10本近い作品を掛け持ちしたこともある。「人造人間キカイダー」「秘密戦隊ゴレンジャー」「がんばれ!!ロボコン」など、数え切れないほどの特撮番組を作り出した。」

思い込みというのは、悪いことのように思われるがそうではない。自分を信じているからこそ思い込むことができるのだし、それだけ自分の能力に自信があるということである。ただ、これをどこまで続けることができるかということの方が問題なのだ。
皆途中で投げ出してしまったりする。それでは意味がないのだ。
この平山亨さんは、思い込みと頑固さが信条だ。だから、そう簡単に自分を変えない。周りの人は、こういうところは変な人と想いがあるかも知れないが、それがいいのだ。

時が流れて、運勢は仕事のアイデアを生み出す時へと流れていく。強い思い込みと自信が作品へのアイデアとなって現れ、またその時に流運はアイデア運へと彼を導いた。この時の流れに乗れなければ、運勢はこない。
「時の時に時のことをする」その時は自分しかわからない。だから、平山亨さんは自分の運命式の通りに強い思い入れをもって生き抜いた。そこに点が味方をしたといって良い。

■病に倒れても変わらない姿勢

「ある夏の明け方、自室で企画書を書いていた平山は、突然倒れる。脳内出血だった。
記憶は1週間戻らず、死線をさまよい、40日間の入院と長期のリハビリを余儀なくされた。それでも企画書のことしか頭になく、退院の翌日、映像会社を訪問した。

 そのがむしゃらさの根底にある気持ちは、「仮面ライダー」を作った時と同じだ。
時が流れ、かつて共に番組を作った仲間が、定年などで映像作りの第一線を退くことを余儀なくされた。「志もやる気も、作品を作る腕もあるのに『場』がない彼らと、また一緒に仕事をしたいんだ」

 2006年には、特撮ヒーロー番組のアクションを担当する事務所、レッド・エンタテインメント・デリヴァーの取締役に就任。アクションとも連携した企画を考案中だ」

1995年、脳内出血で倒れた。しかし、頭の中にあったのは、がむしゃらな企画に対する想いだけであった。

ここでもう一度彼の運命式を見てみよう!

<平山亨さんの運命式>

 9  8 15

 6 16 10

13  8 11

やっぱり強い思い入れが平山亨さんを支えていることは確かだ。しかし、それ以上にもう一つの側面がある。それは、親分肌ということだ。

自分がやらなければならない。自分がやらなければ仲間を何とかできない。そんな親分としての責任が現れている。しかもそれも偶直なまでに変わらない想いのひとつでもあるのだ。だから、面白い人ともいえる。長く付き合えば味が出る人でもある。

もう一つ平山亨さんの魅力がある。それは親分型で頑固なわりには、自分のパートナーを必要とする愛情有似るということなのだ。だから、どこかで人に頼ろうとするところがある。そこのところのバランスがさじ加減だ。いい年齢になればそれが生きてくる。

病を克服できるのもそこにエネルギーがあるからだ。
この生き方が次のような平山亨さんの「前向きに生きる3か条」となっている。

■「平山亨」前向きに生きる3か条

①どんなに無理だと思っても、何度もぶつかっているうちに道は開ける。
②「みっともない」とは考えない。達成のためには、さげたくない頭もさげる
③自分のためには出ない力も、仲間のためと思えば100倍出せる。

●ポイント

自分の運命式に素直であるというのは、簡単であるようで簡単ではない。そこには自分を失わない努力が実践されているということだ。批判や失敗、アクシデント様々なことが試練として人生にはある。それでも自分であり続けるところに運勢の方がやって来てくれるのだ。そこまで待てるかどうかが分かれ道になる。




天使の占い・遠山球希

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