悲しい現実がある
妊娠中絶である。このことの賛否は様々な意見があることは皆様もよくご存じであると思います。この課題は重い課題なので、どう表現してよいかわからないのですが、現実は妊娠中絶はあるのです。
中絶という問題の心理的な問題は別として、法律的にはどんな問題があるのでしょうか?先ずは、実は中絶は日本は原則として禁止しているのです。刑法に「堕胎罪」があります。堕胎罪は実は1907年に定められた法律です。当時の富国強兵製作と結びついて定められたといわれています。
そして第二次大戦後、1948年堕胎罪の例外を認める優生保護法が決められて事実上中絶が認められたのです。これが1996年に母体保護法となって現在に至っています。しかし現実は、妊娠中絶は2005年28万9千件の報告があります。これは届けられた数です。何故ならば、優生保護法が制定されたときに、中絶の理由に「経済的な理由」というのが付け加えられたからです。これなどは、曖昧で誰も調べようがない自己申告ですから、実質は中絶自由化です。
少子化が叫ばれる中で、人工中絶がかくも多くなされている現実をどう受け止めなければならないかということです。ここで、おこってくる問題は手術を受ける女性の心理的な問題があります。男性の方は何も傷つくことはないのですが、赤ちゃんという命をお腹に宿す女性の方はそんなに簡単にはなれません。今は、エコー写真など、臨在感のある写真を妊娠した女性は見ることができるのです。自分のお腹の命を直接見ることができるようになったのです。
供養をする女性達
最近女性達の間で水子供養として、エコー写真を供養することが増えている。中絶が「生まない選択」として、女性の最良の選択としたならば、どうして供養などとなるのでしょうか?そこには命に対する潜在的な思い入れがあるということなのでしょう!昔のように仏教的に祟りなどという考えはそこにはないようです。しかし、心は納得しないというアンバランスが水子供養という形で、自分の心にけったyくをつける道になっているのかも知れません。
欧米では宗教的な問題と絡み合って、人工中絶は大きな社会問題になります。しかし、ここ日本ではそれが社会問題というよりは、寺院での水子供養が傷ついた女性達の「癒し」という心のケアーになっているということなのです。これがいい悪いというよりは、こういう出来事を通して人生観やら生命観、新しい出発のもとになっているということです。
自分の水子に対して、個人が様々な思いを抱くようになり、そのことが精神的な負荷となっています。それを供養という手段を通して、新しい自分なりの出発を試みようとしているのです。それが日本的といえば、実に日本人的な合理性といえるのではないかと思います。
インターネット寺院でも、そのような赤ちゃんの「水子供養」を受け付けているところが多いのも現実です。本当は、中絶を決断した女性達の心の供養の方が課題だということなのです。いずれにしても、新しい出発ができるならば、それがいい結果を生むことになると信じています。
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