●非常識な命名の謎と不思議!(姓名判断)


●非常識な命名の謎と不思議!



■誰も言わなかった非常識な命名の謎と不思議!(姓名判断)

◆画数の吉数と凶数ばかりにこだわると
運勢のどつぼにはまるという謎!


誰でも凶数は嫌なものです。

親の人情からすれば避けたいのは当たり前のことですが、
いざ、命名を考えはじめるとついつい欲が出てしまう!

仕事運は吉数が良い!でも人気運は凶数になる!性格は凶数が多い!
などと考え始めたらエンドレステープのようなものになってしまう。

しまいには収拾がつかなくなる。

こちらが吉となればあちらが凶となる。どちらをとればいいものやらわからなくなる。

かといって凶数があれば目について、気になってたまらない。

愛するわが子が、もし凶数の故に不幸になったらどうしようなどと、情景が頭をよぎれば尚更である。
決まるものも決まらなくなるのである。

いったい吉とか凶なんて数字を誰が決めたのか?
まったく人騒がせなものである。

吉とか凶なんて捨ててしまいたくなるのであるが、そうもいかないと頭を抱えている人が以外の多いのである。


●命名を考えていると、どういうわけか同じ傾向の名前ばかりが思いつくようになる不思議!

親であれば真剣に名前を考えるのは当たり前のことである。

ましてや第一子ともなればこれはもう尋常ではない!
この名前あの名前、自分の好きな漢字を入れなくっちゃ!

今流行の漢字を入れなくっちゃァ!
いじめられないような名前にしなくっちゃァ!
かっこ悪い名前はやめよう!漢字を変えていろいろと書き出す。

そしていろいろな組み合わせを試みてみる。

音も考えてみる。周りにも相談する。

おじいちゃんとおばあちゃんの意見も聞く。

そうして、やっと、名前の候補を列挙してみる。

我ながら良い名前を挙げたものだと感心してみる!
ところがである!

この名前は画数を出してみると、男の子なのにどの名前を見ても弱い名前になってしまっていたりすることがある。

また、女の子なのに強烈な性格の名前になっていたりする。

わざわざ運勢が悪くなるような名前ばかり付けていることがたびたびある。

後々問題が起こりそうな可能性を秘めた名前ばかり付けようとしているから不思議である。



●閃きで付けた名前が画数を調べてみると、自分と同じ画数になることが多いという不思議!

中には感性の鋭い人がいて、そういう霊感的な要素があって、それに自信を持っている人がいる。

自分の直感力はすごいんだと自信を持っている人がいる。

それはそれでいいのだが、宇宙の理は直感だけでうまくいくほど甘くはない。

自分の感性だけで付けた名前には、次のようなことがよくおこる可能性があるのである。

お父さんと同じ画数だったり、お母さんと同じ画数だったり、お爺さんと同じ画数だったり、お婆さんと同じ画数だったり、他の兄弟と同じ画数だったりしてしまうのである。

同じ画数で良いじゃない?と思う向きもあるが、これは実はとんでもない問題をはらんでいることをここではお伝えしておきたい。


●ランキング上位の名前は不幸になるかも知れないという謎!

その時々の世相を反映して、確かに人気の高い名前は多い。

それはそれで素晴らしいことなのである。

団塊の世代のちょっと後くらいまでは、女の子の場合は~子が多かった。

男の子の場合は~夫、男、雄などが一般的であった。

今では考えられない!その時々の時流に乗ることも大切なのだ。

ところがそれだけしか考えていないと、大変なことになる。
どんなに格好いいと思われるような名前でも、自分の持つ「姓」と、付けようとする「名前」のバランスが悪ければ、結局はかっこ悪い人生を送ってしまう暗示が隠されているのである。

どんなに見た目が良くても、その名前の中に隠されている内容の問題が あるのである。

それがその人の運勢を決めてしまうことを忘れてはならないのである。


●男らしい名前と考えて、勇ましい漢字を付けたら女の子のような性格 になってしまったという謎!

●女の子らしい名前と考えて、やさしい漢字を使ったら男の子のような 強い性格になってしまったという謎!

こういう事によく出くわすのである。

男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしく、というのは当然のことである。
だから、それにふさわしい漢字を当てようとするのは人情である。

男の子らしい、女の子らしい漢字であれば、それだけでその人のイメージを作ることができると考えるのはごく自然である。

ところが皮肉なことに、こういう名前をわざわざ付けた場合に限って、 その反対のケースになる場合が多いということもある。

男らしく「虎之助」って付けた名前が、性格はうさぎのようにおとなしい性格になっちゃったということもある。

その反対に百合の花のような女性になって欲しいと「百合子」って付けた名前の持ち主が誰にでも噛みつくような「虎」のような名前の性格になってしまったということもある。

※ここでの「虎之助」「百合子」の名前は、単なる参考例で、こういう性格というわけではありません。


★★こんな例もある★★

実際の○○家の鑑定例(姓名判断)
ご両親の運命式から出してみましょう!
○○○○       ○○○○
15  6 16   15  6 16
12 25 13   12 25 13
22 19 22   22 19 22
となります。

このご夫婦に女のお子さんということで見ていきます。

まずご希望の「さくら」のお名前の運命式を出してみます。

○○さくら
10  6 10
 7 13  7
10  7 10
となります。

結果としてこのお名前はおすすめできません。

理由を述べたいと思います。

まずさくらというお名前は○○家にとっては女姓の名前になりません。

性格の大切な部分の数字が殆どプラスの数字になってしまい、表面的には聞こえは優しいさくらですが、中身はイメージとは違い男性みたいに強くなりすぎます。

すべて主体数ばかりになってしまい人の言うことを聞きません。
ですから除外して考えられた方がよいと思います。



●家族が仲良くなるようにと考えて命名したら、子供が大きくなるに従って、家族との距離が離れていく不思議!

命名するときには二つのタイプの人がいることに気がつくのです。

一つは、子供の運勢さえ良ければいい。そう考える人がいる。

もう一つは、家族と仲良くやっていける人であって欲しいと願って名前を付けるというタイプである。

どちらも親の深い愛情の表れには違いないのだが、悲劇は後者の方である。

家族の一致を願って、老後に至るまで皆が仲良くやっていけるようにという「いい子」であることを願って付けた人の中には、そうならない人もいる。

大きくなるに従って、お父さんに反発する子、お母さんに反発する子、誰のいうことも聞かなくなる子、わがままだけで中味が伴わない子、自分の世界に引きこもってしゃべらなくなる子などがいる。

思春期のお母さんの悩みは、「自分とこの子と、どうやって会話をしていいかわからない」というものだ。

今の世の中、コミュニケーションが叫ばれるということは、それだけコミュニケーションができなくなったということを意味する。

家族の相性をもう一度考えてみる必要がありそうである。


●漢字の持つ意味だけで付けると、実際は運勢が悪くなることもあるという 命名の謎!

命名をするとき、親として考えることは、その親の願いを表すような漢字の意味を持った字を挿入することである。

漢字文化圏の中にいるのであるから、これは当然といえば当然すぎることなのであるが、それが落とし穴になる場合があるというのである。

昔からよく”幸子”という名前を付けると不幸になる。
などとまことしやかにいわれたものである。

これなどは、名前にまつわる歴史をよく表している。

大昔は本名は人には証さなかったものなのだ。

名前を付けるとき、悪魔が聞いていて幸せや命を奪うものと信じられていたのである。

だから、わざわざ悪魔を欺くような変な名前を付けたりしたのだ。

現代ではそういう迷信じみたことはないのだが、それでも子供に幸せになって欲しい、立派な子供になって欲しい、将来はこんなことをする子供になって欲しいと、親の様々な願いを名前に込めるというのは歴史的に継承されている。

ところが漢字の持つ意味と、その漢字が持つ画数が名前として統合されていったとき、画数の持つ意味が大きなパワーを持つようになり、表面的な漢字の持つ意味をはるかにしのいでしまうのである。

だから、”幸せに!と願ったにもかかわらず、その画数の統合された意味あいからは、却って”不幸”という暗示が出てしまう場合だってあるということなのである。


●運勢のない家系は命名のときに、本人も知らない間に家運が傾くような弱い名前を付けている不思議!

「弱り目に祟り目」という諺がある。

一度悪いサイクルができあがってしまうと、その輪廻から抜け出すのは 大変なのである。

家系は三代で滅びるともいわれるし、三代で隆盛するともいわれる。

先祖の功労を失い、運勢が下がっている家系などは、一生懸命付けた名前であるにもかかわらず、その家系の運勢をどんどん提げていくような名前を付けてしまうことはあるものなのだ。

例えばこういう例もある。
何とかして家の運勢を盛り上げてもらおうと願いを託して皆で考えて付けた名前を、役所で登録をしようと出向いたところ、その役所で書類に記入する直前に”急に思い立って”名前の漢字を変えてしまったというのである。

後から考えると本人も何故そうしたのかわからないというのだが、登録してしまってからはもう遅いのである。

画数を調べてみると、急に変えてしまったその名前は「ひどい運勢をしていた」というのである。

★★こんな例もある★★

室町幕府・最後の将軍足利義昭
<運命式>
23 14 27
16 36 20
29 22 29

室町幕府第一五代将軍、最後の将軍です。この人の運命式(姓名判断)を見ると、まるで将軍らしくないのです。

将軍をやめるために生まれてきたような運命式を持っています。

まず第一に本性は真面目で神経質、線が細く、心霊運、愛情運共に線が細く、緊張感に包まれていないと愛情も自分も生き甲斐を感じないのです。

家庭内性格は極端な依存型とおせっかい型の同居した好き嫌いの激しい性格ですから、これは周りの人々が大変です。それに本性が作用して線が細い人になってしまいます。

そのくせ仕事面ではプライドと意地を張りたがり、何か自分の成果を出そうと躍起になります。

人気運は人に命令して威張りたがるという、中身のないのに将軍面するという凡くら男になってしまいます。

これでは"信長ならずともバイバイ"と言いたくなるわけです。

将軍義昭は、信長に将軍の位置をつけてもらったときなどいたく感動して信長を父と呼び、しばらくすると信長憎しと全国の武将に手紙を送って反信長戦線を張ろうという具合なのです。

足利将軍家も代を重ねるごとに功労を失って、最後はこんな人間が出てくるようになったわけです。



●音の響きの好き嫌いで付ける名前は、子供と親のためにはならないかも知れないという謎!

音の世界にも、陽と陰の世界がある。

音というのは母音と子音から成り立っていて、通常母音よりも子音の数の方が多く、子音単独では音としては発せられないのである。

音はこの母音と子音の組み合わせで様々な音色が発せられるのである。

この母音に陽の音と陰の音がある。

大きく口を開ける音は陽であり、口を小さくしか開けない音は陰である。

陽の音が多ければ開放的になるし、陰の音が多ければ閉鎖的になる。

聞いていて”気持ちのいい響きのある名前”であるにこしたことはない。
濁音のない澄み切った開放的な響きのある”名前”がいいのは事実である。

ところがこれにこだわりすぎると、肝心の本人を形成していく性格の内容とか要素、運勢といったものが二の次になり、聞いた感じはいいのだが、本人の内容が形成されていかずに運勢を失うといったことがおきるのである。


●命名の本にこだわればこだわるほど、付ける名前がなくなるという謎!

子供が生まれるとわかった途端に、急に名前に関心を持つようになり、にわか姓名判断師になる人がいる。

名前に関心を持つことは決して悪いことではなく、それはいいことなのだが、そういう人に限ってあらゆる名前の本を買ってきては片っ端から読みあさり、この本はこういう事が書いてあったとか、あの本はどうだ、などと一人批評をしているのである。

元来、命名などのこの手に関する本などに本当のことが書いてあることが少ないのである。

それであれば、命名のプロはいらないのである。

本質をはずして興味や関心をだくことを中心に書いてある事が多い!
これらはあくまで命名のための誘導書と考えればいいと思う。

この手の類の本はの多くは、必ず読者の歓心を買うために数字の吉とか凶をことさら大きく取り上げていることがある。

だから様々な本を読めば読むほど、いろいろな吉と凶の意味が出てきて、 最後は何が何だか自分で整合性がとれなくなってしまうのである。

そうでなければ、ことさらに”因縁”という日本人にとっては脅迫的な概念持ち出してきて、こういう名前を付けると”水子因縁””色情因縁””夫婦離別因縁”などとわけのわからない話になりやすいのである。


★★こんな例もある★★

●子供の運勢ばかり気にしていて、親子のつながりをまったく考えなくなる命名の不思議!

子供に関しては、皆さん”親ばか”になるのである。

また”親ばか”になるくらいでないと、愛情があるとはいえないと思う。

それだからこそ、わが子の行く末を考えて様々な心配をするのが常であり、それが親というものなのだろうと思う。

だからこそ命名にはことさらに関心を持つ。

それで、この名前は運勢がよくなるとか、はたまたこの名前は出世する名前だとか、世間ではこの名前を付けて出世して大金持ちになったとか、だからこの名前は縁起がいいとか、画数的はこの画数がいいとか、この画数は凶数だから絶対にダメだとか、様々な思い込みをして子供の運勢を心配する。

それは素晴らしいことなのだが、肝心なことがある。

それは、どんなに子供の運勢を素晴らしい内容にしようとして、その可能性のある名前を付けたとしても、それを引き出してあげる環境圏である親子ののつながりができていなかったらまったく意味がなくなってしまうのである。

例えば、6の能力しかない人がいたとしよう。

でもこの人の周囲は皆暖かくこの6の内容を持つ人を育てて、5の内容を引き出すことに成功した。

もう一人10の内容を持つ立派な運勢を持った名前の人がいたとしよう。

ところが、この人の周囲はこの10の内容を持つ名前の人との繋がりがうまくいかなかったために、せっかくの10の内容が3しか出せなかったとしよう!

人生のベースとなる出発点において、自分の能力を啓発してくれる環境を持つということと、その環境が無いということでは、その後の生き方に大きな影響を与えてしまうのである。

それくらい人間環境というのは”重要”と考えるべきなのです。

次は、ー「改名プロローグ、改名って何」へ

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