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占い一言コラム 占い全般編5
◆運命の女神というように、実は運命というのは、男の場合は女性が握っているし、女性の場合は男が握っていることが多いのだ。で、どういう相手が自分の前に現れるかというと、それは神の意志といいたいところだが、実は自分の持つ内容にひかれてやってくるのだ。だから運命は自分が呼び込んでいるということもいえる。先ずは自分は必ず成功できる。そう信じられる自分になることが必要だろう!
◆人の運不運を嘆くよりは、自分の運命に素直であった方がいい。自分を素直に見つめていると、次は何をすべきかが見えてくる。それが自然体ということなのかも知れないが、そういうところに運勢というのはやって来るのだ。よくいう時代に照準を合わせるということだ。その感覚をどこかでつかむことが大切だ。すると時代の方が自分を呼んでいることがわかるようになる。運というのはそういうものだ。運をよくするためには、時代や歴史を知ることだ。すると空気を読めるようになる。
◆何かを象徴することもそれは占いの一つと考えていいのかも知れない。自分を表す適当な動物がいれば、それはその人の持っている行動や価値観を言い当てているから、先を予測できるというものだ。そういえば人間始祖のアダムとイヴの時代には人類の未来を象徴するような「善悪知るの木」と「命の木」が生えていたという。これも人の未来を占う象徴であるが、その占いのように、人類歴史は善悪闘争の歴史となってしまった。でもま
だ、「命の木」が残っている。
◆人の運命というものは不思議なものだ。人の心の願いとは反対にやってくる場合もある。自分では「どうして?」と頭が納得しないことが多い。しかし、心はどこかで「そうかも知れない」と思っている。一人の人間には自分の頭では計り知れない宇宙の合理性が働いているのだ。だから心に素直になることだ。そうすれば自分の運命が見えてくるし、その運命を越えていくこともできる。
◆人生の予定を決めてしまい、その通りに実践し、自分を貫くという意味では孔子はそういう意味では天才だ。しかし、予期せぬ苦労をしなければならず、弟子の育成をしながら諸国を廻ったのも事実だ。孔子のような天才でも自分の運命を予定することはできない。そのように、人生は予定されないものだからこそ、努力による運命の開拓という道が残されているのだ。
◆「占ってしんぜよう。黙って座ればピタリと当たる」などというのは、多分真っ赤な嘘だと思っている。そんなことになれば、誰も努力は必要なくなるからだ。それに、当たってもらっては困ることもある。聖書には預言者ヨナが、神に文句を言っていた。預言が当たらなかったからである。もし占いによって、その人が心を入れ替えて歩く道を変えたのであれば、その占いがはずれたことを歓迎すべきなのだ。それを持って善とする。
◆占うことは人間にとって、希望でもあるが恐れでもある。しかし、占わずにはいられないのが人間の性だ。自分自身を占うことは、自分自身への布石であり、道なのだ。だから、事前に様々な情報を集めることこそ、変化への対応の準備ができるのだ。準備なき者には滅びが待っている。
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