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占い一言コラム 占い全般編6
◆結婚する前には、納吉(のうきつ)の儀というのがあるらしい。「結婚を占ったところ吉と出たことを男家から女家へ知らせる」結婚はめでたいものだから、ちゃんと吉ですよと言うことを相手に知らせなければならないのだ。賢い人は、ちゃんと結婚する前に、相手との相性を見て対策をちゃんと立ててくる。離婚でもなんて考えるようになってからでは、もう遅いのだ。
◆占いというのは、どんな世界に行ってもあるから不思議だ。西洋には西洋流に!東洋には東洋流に!人は様々なものを利用しながら、相手を知るよりどころにしてきた。それは「知りたい!」という強い動機から始まっている。もっと愛したいこと、不安を解消したいことなど皆同じだ。だから占いは、そういう知るための材料を提供してあげる道具と考えればいいだろう!
◆卑弥呼は鬼道をしていたといわれている。鬼道については諸説あるのでよくわかってはいないが、隣の韓国では、巫女が鬼神の寄り代となって地上の子孫に現れるという。どちらにしてもあの世とこの世のつながりから国の行く末を占っていたに違いない。やはり占いの原点は先祖とのつながりにあると考えてよ
い。
◆昔の武将は、占いをうまく使った。先勝祈願をしていると、瑞兆が現れた。だからこの戦は必ず勝つぞと部下に信じ込ませる。そういうことをとっさの判断かも知れないがしてのける知恵があった。人の心が集結してこそ運勢というものは開けるのであるから、自分には神の加護があることを証明すればいいのだ。それを本気で自分も信じることができれば、占いの力は生きることになる。
◆占いと預言は似て非なるものだ。占いも預言も未来のことを題材にするのは同じなのだが、占いは可能性を表しているから、どうにかすれば道はある。しかし預言は、神の命令や言葉を預かるのだから、選択は二者択一である。悔い改めれば助かるが、そうでなければ滅びが待っている。いつでもクローズドクエッションは、答える方には厳しい選択だ。
◆運を招く人、不運を招く人、というのはたぶんいると思う。それは運がやってくる器を持っているということにもなる。だから、不運ばかりおこる人はどうもそういう器を自分がもっているのではないかと疑うべきだ。司馬遼太郎の小説では、日露戦争の連合艦隊司令長官に東郷平八郎が選ばれたのは、「あいつは昔から運がいい男だった。戦で負けたことがない」という理由からなのだそうだ。だから、器という運命式を変えてみるのも運を呼び込む道になる。
◆占いというのは、人間の未知なる探求心をくすぐるものだ。自分の知らない世界を知りたい。相手の知らない世界を知りたい。そういうスキルを与えてくれるものだから、皆が興味を持つ。しかし、どんな世界にも簡単に身につく技術というものはない。速成栽培などというものはないのだ。だから本物の鑑定をを求めるならば「餅は餅屋」に任せたほうが安心だ。
◆儒教では、易経が基本テキストになっていて、占いというのは国家存亡の重要な判断になっていた。それのみならず、その考え方が国造りに影響を与えたのである。占う方法が問題なのではなく、占いの持つ思想的な価値が人間や国家に大きな影響をもっていたというのである。安易な占いが氾濫する現代に、しっかりとした価値観を提示するのは「天使の占い」であると勝手に思っている。
◆占うということは別の味方をすれば、天意を知るということなのである。天意というのは、人間の人知を越えた見えない意志を知るということなのだ。だから、昔は占いには大きな権威があった。陰陽寮は歴をつくるお役所であったが、それは天意を知るための占いの役所だったのだ。現代では占いによって誰でも天意を知ることができるようになった。自分に対する天意をしっかりと理解するために運命式はある。
◆占いはただの占いで終わらない。これは言い換えてみれば「ただ知ればいいというものではない」ということになる。要は、知識として様々なことを、自分のことや相手のことを知っても、それで解決した気になってはいないか?知識は行ってこそ義とされるものだ。だから正しい占いは実践されてこそ意味がある。
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