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格言日記18

日記風の格言

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05年3月31日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-人間は習わし次第のものだ。
---シェイクスピア(イギリスの作家)---

「習うより慣れよ!」とある。”物事は、人から習うよりも実際に経験し
て慣れたほうがよく覚えられる。”というものだが、物事というのは習慣
化した方がその後もっと簡単になる。習慣というのは”学習により後天的
に獲得され、繰り返し行われた結果、比較的固定化するに至った反応様式。
”ということなのだが、慣れて習慣化するというのが、これまたやっかい
なのである。

勉強もそうなのだが、先ず机に向かうという習慣を作ることが大変なので
ある。それまでにいろいろと誘惑がある。その辺をクリアーしてやっと机
に座ってからが大変である。熱が入ってくるまでに、これまた30分は余
裕を見なければならない。すると正味学習の時間は30分引かねばならな
いことになる。

昔の寺子屋といった粗末な?教育制度しかなかった時代は、みんな素読を
させられた。要するに儒学の論語なんかを丸暗記するのである。現代人か
ら見るとなんて非効率的な学問をするのだろうと思うのだが、どうもそう
ではないらしい。物事を創造するというのは、こういう何でもないような
ベースがあって、ある日突然に何かをひらめくのである。習慣化の中には
創造の種がいっぱいあるのだ。

発明とか発見というのは、「既成の事実の組み合わせ」なのである。何か
突拍子もなく突然に出現するのではない。突然に見えるのは、人々がそう
いう観点を見ていなかったにすぎない。
良い習慣性を身につける。それを努力することの方が効果的である。それ
には周囲が環境的に援助することも重要である。

05年3月30日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-強い者だけが勝つんです。
---池永陽(作家)---

弱肉強食は何も動物の世界だけではない。人間の世界も基本的には弱肉強
食なのだ。大人の世界はそういう力関係が腕力という単純なものではなく、
そこに権力やら金力やらといった要素が入って、それに社会のルールが加
わるので、単純な力の誇示というものは目立たない。それでも、力を持っ
たものが強いというのは変わらない真理なのである。

それが子供の世界ではもっと単純に現れる。ドラえもんではないが、やっ
ぱりジャイアンのような奴が幅をきかすのである。アニメのドラえもんが
受けるのは基本的に子供の構図は、ジャイアン、のび太、スネ夫、それに
静香ちゃん、お助けマンのドラえもんがいて、子供の世界のバランスをと
っているからだろう!

人類始祖といわれるアダムとイヴの世界もこういう世界とよく似ている。
ちょっと無謀だが当てはめると面白い構図になる。
ジャイアン=サタン、静香ちゃん=イヴ、のび太=アダム、スネ夫=天使、
ドラえもん=神様
こんなキャラクターが人類の始めからいたことがバイブルに書かれている
のだから、何千年たっても世の中の基本構造は変わっていないというわけ
だ。

文明の発祥の地である中近東から始まったユダヤ教もキリスト教もイスラ
ム教も結局は一番強い人を待ち望んでいる。それがキリスト教は再臨のキ
リスト、ユダヤ教はメシヤ、イスラム教はマホメットの再来?やっぱり強
い人が現れないと、歴史の争乱のもとになるこのキャラクターをまとめる
ことはできないのだろうなと思ったりする。

05年3月29日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-社会が豊かになって、青春期が長くなったのだ。
---奥田英朗(作家)---

経済的に豊かになってくると、いろいろな刺激がふえてくる。貧しかった
頃は働くことが精一杯で何の娯楽もない。恋をしている暇など正直言って
なかったと見るべきだろう。恋多き時を長く保つことができたのは平安貴
族ぐらいなものではないか?恋の表現が文学になり、文化として伝えられ
て今でも研究されている。

経済的な豊かさが自由や文化の発展につながったのは言うまでもない。
現代はみんなが生活レベルから見ると貴族や大名のような生活レベルなの
かも知れない。交通通信はインターネットの出現により誰でも情報を共有
できるようになった。昔は情報をいち早く知ることのできたのは、一部の
支配階級にすぎなかった。

人間は動物と違って、性のシステムそのものが違う。動物には発情期があ
って、ある一定期間だけが繁殖としての恋の期間なのだ。ところが人間だ
けは、どうも勝手が違うのだ。時と状況が許せばいつでも恋ができるのだ。
しかも、恋は単なる生殖活動ではなく、人間にとってはコミュニケーショ
ンの一つなのだ。同じ生物なのに、万物の霊長たる人間と動物はこうも格
が違うものなのかと驚かされる。

時間が多く取れるようになり、自由に人がなったのに、何故か人はそれで
も豊かさと恋という刺激を求める。刺激は不安定要素になる。そうであり
ながら片一方では安定を求める。楽しい社会になるにはそういうバランス
が大切である。でも刺激としての恋は、誰でもというのは困る。それは不
幸のもとになるからだ。恋は自分の善き伴侶との恋を深めるのが、味があ
って楽しいのだ。それこそ余人のはいる隙もなく、二人の世界になる。

05年3月28日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-人間はずっとやって来たことをやめると簡単につぶれっちまう。
---伊集院静(作家)---

人が生活している中で大切なことは”流れ”である。
仕事にしても、勉強にしてもどういう流れをつくるかで効率が決まってし
まう。うまく流れができたときは結果も良い。ところがその流れをつくる
ことに失敗すると、どうも調子がよくない。

どうも最近の人たちは、僕も含めてこの”流れ”を作ることが下手くそな
ようである。やっと流れにのってきたなと思う頃には夕食時だったり、そ
れで”流れ”が中断すると、次の流れを作るまでに時間がかかり結局深夜
になってしまう。そると夜更かしになり朝が遅くなる。こういう悪循環が
身体を蝕むことになる。

それを助長する環境も整ってきた。コンビニの出現である。もう「眠らな
い街」は当たり前になっている。そしてそれをあてにした商売がはびこる。
お釈迦様が予言をした弥勒仏の来臨は、「夜も昼のように明るい状態が現
れるとき」とある。現代は昼も夜もない。だから2500年前の予言は、現代
なのかも知れない。

長い間かかって培われてきた季節感と、時間のリズムが今壊れている。そ
れはとりもなおさず人間の肉体と精神が壊れかかっていることの証拠では
ないか?時間は長いスパンで環境の変化をそくしている。地球ほどの大き
な容量でも急速に変えてしまっている人間の環境破壊に耐えられないでい
る。人の心も体も既に季節感が失われるようになって久しい。病もヴィー
ルス性のものから癌などの生活習慣病になっている。
今こそ「弥勒仏」が現れて、人と自然のリズムを取り戻してほしいもので
ある。

05年3月27日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-「自分」という、人生の主人公は自分一人。あとの人間はすべて脇役。
---ジャック・ニコラシカ(作家)---

人生というドラマの舞台で自分が主役なのは言うまでもない。そのドラマ
が面白くなるためには、ちゃんとした脚本が必要だ。ドラマの面白さとい
うのは、どんなに俳優が優れていても、元々の脚本がダメなときはどうに
もいけない。演技でカバーしきれないほころびが出てしまう。

その反対に、役者の演技はたいしたことないのに脚本が面白くて、随所に
ポイントが設けられているとそのドラマは面白くなる。そういうものだ。
用は脚本が命だと考えてよい。すると、人生というのはどういう脚本を描
けるかで決まってくる。

ところが人生に脚本はあるけれども、それは決して完成したものではない
のだ。いつも未完成で、しかも今のドラマの展開を見ながら次に何をどう
しようかと脚本を描きながら同時進行的にドラマが進行する。そういうわ
けだから、面白いんだけどどういうドラマになるかは誰もわからないのだ。

ドラマの中で自分が主役と思っていても、それは自分から見たドラマだか
らである。だからどんな立場にいても主役は自分といえる。問題は人から
見ても主役的な生き方をしているかどうかということなのだ。それは難問
だ。主役を張るにはそれなりの”華”がなくてはいけない。それにそうい
う努力が続けられていなくては、味が出ない。そういうものだ。
人生の主役になることはそう簡単ではない。

05年3月26日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
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格言-士を好めば士至る。
---劉向(紀元前終わり頃の中国の学者)---

”類は友を呼ぶ”とは少し違うと思うのだが、自分のレベルに応じて集ま
る人は違ってくる。自分の考えやら価値観、そういうものが変わってくれ
ば当然それに呼応するかのように、周囲の人間模様も変わってくるものな
のだ。それが自然だ。

食べ物の好みも変化する。すると当然食生活のスタイルも変わるのだ。食
が変われば、自分の身体にも変化が訪れるようになる。突然太ったので悩
んでいる。などというのは体裁を取り繕った嘘なのである。結局は太るこ
とをしているので太ったにすぎないのだ。それに気づかないというのは、
それは愚かだ。

「祈りなさい!そうすれば神様が助けてくれます」そういう宗教が多いの
だが、祈りだけで問題が解決するのならば、多くの人が既に祈っていると
思うのだが、どうか?こんなに楽なことはない。問題が解決しないのは
「祈りが足りないからです。喜捨が足りないからです」などとお坊さんに
言われたりすることもあるが、他力本願では現実的ではない。

バイブルには「求めよさらば与えられん。門をたたけ。そうすれば開けて
もらえるだろう」とある。アクションなきところに結果は出ないのだ。自
分が求めるものを、行為という結果で示さなければ、来るものも来なくな
る。当たり前だ。

05年3月25日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-ある事実を教えることよりも、いつも真実を見いだすにはどうしな
ければならないかを教えることが問題なのだ。
---ルソー(フランスの啓蒙思想家)---

結果かプロセスか!どちらが大切か?
どちらも大切である。とかく世の中は結果のみを判断する傾向が強い。そ
れは結果が多くを左右するからであるから当然といえば当然なのであるが、
問題は結果を鵜呑みにしてしまうととんでもないことになりかねないとい
うことなのである。

結果というのは一つの判断材料なのであるから、その結果のデータが正し
いかどうかの検証が必ず問われることになる。一つのデータであっても、
そのデータがどういう手順で編み出されたものなのか?そのデータの正確
さはどのくらいの誤差があるのか?といったことを知っていないと、大き
な判断ミスを犯すことになりかねない。そう考えると、教育という現場で
は結果に導くプロセスとを重要視することは当然である。答えが合ってい
ればいい。そこには、真理は見いだすことができない。

子供たちにいうことがある。結果に一喜一憂するよりも、内容に一喜一憂
する人間になれ!そこに満足するかしないかということが問題である!と
いっている。テストの結果には当然敏感であるが、それよりも必ずテスト
の問題を再度やり直しすることをしている。それによって、検証ができる
のである。何が問題で、どこの過程が間違ったのか?そういうことを理解
することがすごく大切なのだ。

大学も入ることばかり考えているから、いけない。大学に入ってどうする
かということも、自分の思考の中に入っていなければ、大学に入ってから
が問題になってしまう。結婚問題も同じだろうと思う。結婚することばか
り考えていると、結婚後どうするかということに思考がいかなくなってし
まう。結婚するまでよりも実は結婚を維持することの方がはるかに長く多
く試練と忍耐、不断の努力が必要なのに、その辺の回路が飛んでしまうの
は、恋という病のせいか?

05年3月24日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-仕事をおもしろくするには、個人と企業との両方が努力しなければ
いけない。
---関根康雄(日立総合経営研修所社長)---

仕事を面白くするということは、個人の力量や環境など様々な要素が大き
いのだが、中でも個人の心理的な側面は欠かすことのできない要素なのだ。
その辺をわかった環境設定をしないと、なかなか面白く仕事をすることは
できない。

面白いという中には、創造性、評価、発見、研究、競争、自由、管理、協
調性、チーム、目的、収入、好奇心、希望、未来など様々な要素が絡み合
って、その自己満足度で決まる。中でも自己表現と周囲の評価というのは
大きなウエイトを占めるように思う。

仕事が面白くなくなるときは決まっている。自分が正当に評価されていな
いと感じるとき、それから思うように仕事が進まないとき、仕事の内容が
否定をされたとき、ルーチンワークばかりしているとき、きつい仕事の割
には喜びが少ないとき、のような気がする。
仕事が面白くなるときは、周りの応援があって、仕事の後にでも楽しみが
あるとき、自分を信じてくれる上司が一人でもいるとき、などであろう!

まあどっちにしても、仕事を面白くするしないは、個人の能力にかかって
いるわけだから、起業としては個人の能力を高める方向でバックアップ体
制を敷くことが企業業績に結びつくというわけだ。そこで、様々な教育が
必要になる。それにしても、最近は即戦力などといって、あまり教育に熱
心になってこなくなった。そうすると、企業に育ててもらっていない個人
はますます個人主義になる。優秀であればあるほど、次の目標のために離
職率は高くなるのだろう。教育はいつの世でも要になるはずだが?

05年3月23日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-負いかた一つで重荷も軽い。
---フィールディング(イギリスの作家・判事)---

マタイ伝11/28には次のようにある。「すべて重荷を負うて苦労している
者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたし
は柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わた
しに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろ
う。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」

キリストを信じたらイエス・キリストがすべて自分の心の重荷を肩代わり
してくれるので、自分の抱えている心の問題が解決するというわけではな
さそうである。まあ、信心深い人はそう思うかも知れないが、現実はそう
甘くはない。ただ、複雑な現代社会の中で抱える個人の心の憂鬱さは、何
を持って解決するかというと、そう簡単に答えは見つからない。
心理学が流行るのもわかる気がするが、小手先の解決であれば意味を持た
ない。

何事にも「こつ!」がある。
何でもそうですが、物事にはこつってものがあります。木を切るにも、目
地ってのがあります。それがわからないと、切った木もものにならないっ
てことになります。パン作りにもあります。お酒造りにもあります。職人
技っていうものには必ず「こつ」があるのである。
それと同じでひとの心の扱い方にも「こつ」があるに違いない。
それをつかんだ人は達人といわれるのだろう!

人の心は自分で勝手に成長したものでは決してない。周りの人の心の影響
を受けて、それを栄養素としながら成長をしたのである。それを”愛””
慈悲”と呼ぶ人もいる。もし、心に問題があるとすれば、それは自分に起
因するものよりも、周りの人に起因するところが大きいのである。だから
心の問題は、自分の心に対応してくれる人によってしか解決しないのであ
る。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう」というイエス・キリストの言葉は人の心
を癒す心のエネルギーを持っていたから言える言葉なのだろう!

05年3月22日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-さえない男に声をかけられると、なんだか安く見られた気になる。
---奥田英朗(作家)---

嫌な奴とか人気のない奴とかダメな奴と思っている人に声をかけられると、
なんだか気分が優れない。「どうしてこんな奴が僕に話しかけるんだ?」
などと思ってしまう。反対に、優れている人や、有名な人、尊敬する人に
声をかけられると、それだけで嬉しくなってしまうものだ。人間ってつく
づく不思議なものだと思う。

特に男と女はデリケートだ。好きな人には目と目があっただけで、僕に好
意があるのだろうかと勝手に思いこんで嬉しくなる。若いときにはみんな
そんな経験があるのだろう!「身の程知らず!」ということもあるのだが、
そういうのも良いもんだ。年齢が行ってくると、変に自分をあきらめてし
まっている。自分に対する期待感がないからだ。

顔色が悪いね!といろいろな人から言われてもいっこうに気にしない人が
いた。大丈夫!とてんで相手にならない。ところが、好きな人に真顔で
「本当に大丈夫!」っていわれると、とたんに心配になってくる。それで
病気ではないかと不安になって、本当に病気になってしまう。その反対バ
ージョンで、尊敬する人から「信じられている」というメッセージを受け
取ると人間というのは俄然力が出るものなのだ。

どうせ付き合うんだったら、自分よりも内容のある人や自分よりも優れて
いる人と付き合うように努力してみることだ。そうすれば、ちょっとくら
いミスって怒られても、自分より優れている人に怒られるのは「当然」と
思えるし、目標にもなる。ちょっと褒められればそれだけで「大きな力」
になることは間違いない。

05年3月21日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-年寄りになったからって賢くなるもんじゃありませんよ。
---ヘミングウエイ(アメリカの作家)---

一芸に秀でる、という言葉がある。
少子高齢化社会といわれるようになって久しい。というより、前からわか
っていながら何ら対策を考えてこなかった政府の責任は大きい。
人口というのは、全ての政策の根源であるはずだ。これを重要視せず、教
育を政治の道具にしてきたのは、日教組にも責任がある。こんなことを書
いてもどうにもならないのはわかっている。

それでも世の中には、黙々と自分の持つ技術を磨いてやまない人が数多く
いるというのである。それらの人は、世の中の受けをねらってやっている
わけではない。それでもそういう人がいるから、社会のシステムが循環し
ているのも本当だと思う。マスコミは一部の人のみをクローズアップする。
そうしなければ売れないこともあるだろう。

世の中バカな年寄りが多いのも事実である。最近は年寄りといっても、何
歳から年寄りなのかはその境界線がはっきりしない。昔は還暦が境界線で
あったように思う。今は、還暦なんていうのは、若い人の部類に入ってし
まう。年金をもらえるようになってからが年寄りとするのも一興だろう。
一律に年寄りといっても、生きてきた時代の価値観によって、いろいろな
年寄りがいる。そういうことを考えて年寄りを見つめるのも必要だ。特に
戦後の価値観の混乱期に育った人は、ずーとその影響を背負っている。

退役会社人間が今後をどう生きるかは、その人たちの考え方一つである。
社会の構成要素の中で大きな比重を占めるようになるといわれているのだ
から、退役会社人間は、現役社会人なのである。自分の持っている経験と
技術やこれまでに培ってきた人脈や数多くの知識は、別の意味で社会や世
界に役立てるべきである。自分は何もない、などというのは嘘である。何
もないということはない。ただ、自分の能力を発揮できる環境を持ってい
ないだけである。もっと新しい社会をつくる主体勢力に「年寄り」がなる
べきと思うのだが!先ずは「年寄り」の言葉をやめよう!高齢社会人とで
も呼ぼうか?

05年3月20日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-みんなのやることをやると浅く生きてしまう。
---城山三郎(作家)---

時間という概念は面白くて人によって様々である。また、状況によって異
なるものでもある。これほど、数理的でありながら感情的なものもたぶん
ないと思う。時間をうまく使えるということが、出世や仕事ができるとい
うことと大きな関係があるのはいうまでもない。
でも時間をうまく使うというのは、これはこれでなかなか至難の業なので
ある。

僕は時間の使い方が下手である。何故かというと、人情家だからである。
ついつい未練が後を引いて一つのことを見切ることができない。あとから
後悔するのだけれど、それもその時の一時だけで、しばらくすると、改心
したのはどこへやらと元の生活の戻ってしまう。まったくと我ながらにし
てと思うのだがどうにもならない。

僕はマクドナルドは嫌いだが、ああいうファーストフード店にいくと”さ
すがだなあ!”と感心してしまう。
全てが無駄なく、遊びがなく、有効な時間の使い方を考えた上で、マニュ
アルがくまれている。たぶん、働く人にとっても楽に違いない。何故かと
いうとルーチンワークだからである。決まり切ったことを、マニュアルに
したがってやれば文句いわれないからである。で、こういうマニュアル人
間を製造する企業人は、効率しか考えてないのだろうなと思う。

人の生活は創造的でなければならないというのが、僕の考えである。とこ
ろが創造的というのはやっかいなもので、自分で考え、自分で構想を練り、
アイデアを出さねばならないから、時間的には非効率なのである。決して
それで良い成果が現れるというわけではない。返って、余りよい結果にな
らないこともある。それでも、時間を創造的な部分に使うというのは、生
活の大部分を占める必要があると思っている。人間を相手にするのだから
非効率でも創造的であった方が良いと思うのだがどうか?

05年3月19日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-「人によく見られたい」という気持ちは、しばしば見栄やウソを生み出します。
---植西聰(心理カウンセラー)---

最近はできる限り「自然」でありたいと思うようになった。それだけ枯れ
てきたのかもしれない。などと寂しいことをいうつもりはない。
自然でありたいなどと思う心は、如何に自然でないような生活をしてきて
いるかということなのである。
誰しも、自分を表現することに苦心するものだ。何故かというと、人が評
価をしてくれなければ、自分という人間の価値を顕すことができないから
だ。

自分を表現するという訓練が、間違って受け取られると、自己の欲望を満
足することに向けられる。「人によく見られたい」という気持ちは、大き
な感情の波になれば、周りとのバランスを崩すことになる。そうすると、
ますます周囲は”変人”というレッテルを貼ることになる。結局「よく見
られたい」という動機が、「悪く見られる」という結果に終わってしまう
ことになる。

詐欺師はある意味ですごいなと感心してしまうのだ。彼らは人を信用させ
るということにかけてはプロ中のプロである。”人に信用してもらう”そ
れが如何に困難なことかということである。”信用が得られない”からこ
そ問題が起こるのに、彼らは人を信用させて問題を起こしている。少しは、
彼らの”爪のあか”でも煎じて飲みたいくらいである。この前たけしので
るアンビリバボーという番組に、世界を股にかけた詐欺師の話が出ていた。
すごい能力の持ち主であった。どんな資格にもあっという間に合格してし
まうのだ。それで、本物と同じように振る舞う。彼は結局引退した後は、
世の中のために生きている。偽造の手口を犯罪者の経験から公開している
のだ。

結局は「よく見せたい」という心の動機を一度捨て去って、「相手に何が
必要か?」ということから、自分のできることを考えてみる。そうすると
自分の役割が自然と分かってきて、自分の内容で勝負することができる。
「よく見せたい」と思わなくても「自己を表現」することが可能となる。
アメリカでは、よくディベートで訓練をする。しかし、そこには自分に身
に付いた内容が決め手になるということを知る必要がある。
内容を磨く努力をしていれば、道は自ずと目の前に現れるはずだ。そして、
「相手の為」という軸足を持っていれば、ちゃんと自分を伝えられる。そ
う思うことだ。

05年3月18日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-なまじ「老後」という言葉があるからいけないのです。
---小林祥晃(風水研究家)---

老後というのは、誰がつけたのだろうか?とふと考えてしまう。齢~歳に
なるとそろそろ自分の行き先も見えてくる。こんなもんかなと思う生き方
も、自分で納得するしか道は残されていない。ところが人間というものは
不思議で、何歳になっても自分はまだこれからだとどこかで思っている。
いつまでたっても年齢は20代から30代のままなのである。

老人という定義があるとすれば、それは希望という二字を忘却してしまっ
た人のことではないかと思う。どんな境遇でも、この希望という二字は起
死回生の特効薬なのである。これが切れると、たちどころにテサロニケ書
にあるように「あなた方は生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」
ということと同じになってしまう。そう考えると、閉塞した社会では、若
い老人がいっぱいいるということになる。

昔、アブラハムという人に神が語りかけた。「この町は暴虐に満ちている
からいっそ滅ぼしてしまおう!」それを聴いたアブラハムは神と交渉をし
た。「もしこの街に10人の義人がいれば、この街を滅ばさないでくれま
すか?」神は「いいだろう!」といった。さらに交渉して、一人でも義人
がいればということになった。神という絶対者の希望のない命令にも、ど
こかで希望を見いだそうとするアブラハムという人物の希望に対する執着
心をみて、感心してしまったものだ。

老人とか老後というのはやめてもらいたい。別の言葉で言えば「人生経験
者」とでもいってもらいたい。自分でもやらねばならないことが山ほどに
あると思っているから、これからという時に体の方が故障するというのは
何とも残念なのだ。今から目指そうと思うのは、若者と競争できるスーパ
ーパワーを持った「人生経験者」である。もちろん若者と条件を同じにし
てスタートラインに立つつもりだ。塩の柱になったロトの妻のように未練
は持たないが、死んでも希望だけは残すことができる!

05年3月17日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-多くの仕事を持っているものだけが、徹底して怠惰を楽しむことができる。
---ジェローム(イギリスの小説家)---

こういう言葉を使うことのできる人は、実際に仕事をやり抜けてきた人が、
怠惰という意味をかみしめているのではないかと思う。
僕なんかは常に怠惰だから、一度でいいから徹底して仕事をした方がいい
のではないかと思うのだが、たぶん性根が怠惰だからこの先ずーと無理で
はないかと思う。全く怠惰ということを本気で体現できた人はいるのだろ
うか?少し疑問に思うのだ。

誰しも、金持ちになって自由で好きなことができて、楽していたいなどと
思うのだが、現実はそういうことはほとんどありえないのだ。返って仕事
が無くなったらどうしようなどと小心者の僕は暇ができれば、心はせわし
く動いているのが分かる。時には、そういう様々な心の葛藤から解放され
て、真の自由というものを味わってみたいなどと贅沢な思いを持つのだが、
実現できない夢とあきらめるのが落ちである。

この前何かの番組で、ジャッキーチェンがアメリカの豪邸を売り払うとい
う話が出ていた。ついに彼もお金に困るへまをやらかしたかと思いきや、
なんと年に数日しか滞在しないから、もったいないということだった。そ
んなら僕に無料で貸してくれればいいのになどと、頭の隅で考えた。世の
中には、お金を集めることのうまい人と、そうでない人がいる。これはも
う特技としかいいようがないのであるが、そのことが人間の社会での優劣
を決めているから、何ともいじらしく思えるときがある。自分が金持ちで
ないから、金だけが人生ではないなどと分かったような口をきけるのだ。
実際は、金がないことは惨めなのだ。

日本人というのは生来変な人間だと思う。何故かというと、怠惰になるに
も一生懸命怠惰なのだから可笑しくなってしまう。自然に怠惰ではないの
である。どうしたら怠惰な生活になるかなどと真剣に考えてしまう。する
と怠惰な楽しみをどこかに見いだそうとして、努力しちゃうのだ。
この際、怠惰になる努力なんてすることをやめて、真剣に生きてみたらど
うだろう!すると、怠惰が恋しくなるから、ちょっとは怠惰が何かを分か
るかもしれない。金持ちは、金ということを真剣に考えているから怠惰で
あるはずがないのだ。少なくとも頭はいつも働いている。金持ちよりも僕
が優れていることは、いつでも怠惰になれるということだ。これも、金を
儲けるのと同じくらい難しい特技なのかもしれないと、一人勝手に思いこ
んでいる。

05年3月16日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-武芸の家にうまれずば、何とてかかるうき目をばみるべき。
---熊谷次郎直実(平家物語に出てくる武将)---

源氏の義経が一の谷に布陣する平家を攻めた。その時、熊谷次郎直実とい
う武将が立派な身なりをした平家の武者を呼び止めた。「敵に後ろを見せ
るのか!」というわけである。この武者と争った直実であったが、敵を組
み伏せてその首を取ろうとしたが、その武者はまだ少年であった。助ける
こともかなわずやむなくその首を討ち取った。その平家の武者は平敦盛で
あった。

この直実は後に出家してしまう。まったく運命の神は時としていたずらを
するようである。この時に、直実が敦盛に出会わなければ、敦盛も死なず
にすんだかも知れないし、直実も出家しなくてもよかったかも知れないの
である。でも、現実は出会ってしまったのである。瞬間瞬間に判断しなけ
ればならないことが多いのが人生だ。その判断が進むべき道を決める。
直実が考えたことは、何故自分はこの少年に出会わされたのか?というこ
とに違いない。そこに何かの意図を感じたのだろう!と僕は思うのである。

もし僕が日本に生まれなければ!もし僕が今の奥さんに出会わなければ!
もし僕が進路を変えなければ!もし僕が独立しなければ!などと考えると、
人のゴールは決して決まっていないことがわかる。たとい武家の家に生ま
れようとも、たとい町人の家に生まれようとも、たとい百姓の家に生まれ
ようとも、生き方の選択は個人なのだ。もちろん大きな社会システムの流
れには逆らうことはできないのだが、それでも自分が選択するということ
が重要なのだ。それを、”自分”ととらえていなければ、その人は生き方
において問題がおこるようになる。

自分の出身をちゃんと見つめる必要がある。お父さんはどんな人で、お母
さんはどんな人で、兄弟にはどんな人がいて、先祖はどんな人がいて、家
風はこんな感じだったと!ちゃんと知る必要がある。その中で自分はどの
ように成長してきたか?どういう考えを養ってきたか?その辺がわかって
くると、自分をどういう風に遇することが良いことなのかという判断がで
きるようになるのである。
平家の公達が「かかる憂き目」にあうようになったのは、自分をよく知っ
ていたからである。だから、そういう選択をした。逡巡した直実の方が武
者としての自分につまずいたのではあるまいか?立派なのは敦盛の方であ
る。

05年3月15日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-ブランコは春の季語、いちごは夏の季語なのです。
---俳句の季語---

俳句に季語はつきものである。また季語を入れないと俳句にはならないの
であるから当然ではある。季語というのは不思議な魅力を持つ。その言葉
が入ることによって一挙に情景が浮かんでくるようになる。人のイメージ
をわきたてる大きな力があるのだ。それだけ、日本人は季節の変化に敏感
に対応してきたというわけだ。

たぶん稲作農業を中心として生活をしてきたのだから、この季節感がつか
めないと生活に直接影響があるからに他ならない。
この季節感が日本人にはとても大切なのだ。天気予報は皆が関心を持つ人
気番組になる。何故かというと、天気は直接に生活と結びついているから
である。すぐに変化する天気にどう対応するか?それが問題だ。
観望天気というのがある。その土地の人しかわからない地域の状況に応じ
た天気の予想だ。これは意外と当たる。ちゃんと根拠があるのだが、説明
できないだけだ。

人間の体は季節と親戚なのだ。それは食べ物が原因している。例えば、熱
いところの地方の人は、やっぱりバナナを食べたりする。それに果物も豊
富だ。実はバナナなどの熱いところの果物などは体を冷やす作用がある。
冬になってくるとミカンがいっぱい出回る。これなどは、ビタミンCを十
分にとることができる。寒くなるときに、最高の風邪予防薬だ。とにかく
寒くなれば土の中から取れる根菜類が多い。これらは人の体を温める作用
がある。夏は葉物や果物。夏ばてしないように体調を調節する作用がある。
心は別として、身体の方は自然と素直に向き合っているのだ。
「旬」は健康の基本みたいなものだ。

心の中から、季節感が消えていく。心が「旬」ではなくなっている。何千
年にもわたって培われてきた人間の生活サイクルがここわずか数十年で変
わろうとしている。その変化に人はついて行けないで苦しんでいる。花粉
症などは、人間の中から寄生虫などの敵がいなくなってきたために、身体
防衛軍が反乱を起こしたのだ。
本来リサイクルは自然の知恵であるはずなのに、人はあえてそれを壊して
きた。大自然の神に”つけ”は返さないといけない時が必ず来る。
昔イチゴは初夏の食べ物だったのに、今では冬とか春の食べ物と思ってい
る人が多い。季節は心の栄養素であるはず!なのに。

05年3月14日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-人は変わり、街も変わる。
---浅黄斑(作家)---

物には寿命がある。特に商品にはその商品の持っている寿命というものが
ある。寿命というのは必要とされてきた時を過ぎ去り、その物の価値が失
われたことを意味する。もちろん人にも寿命がある。ところが面白いこと
に人間の寿命を中心として動物や植物の寿命があるように思われてならな
い。そうでないと、ペットなどは育てるという楽しさがなくなってしまう。

”国やぶれて山河あり””ふるさとは遠きにありて思うもの”など田舎の
姿は長いことかかっても変わらないからこそ、郷愁というものを人は感じ
るのである。自然のサイクルは人のそれよりはずっと長いからである。
それでも、少しずつではあるが変化はしている。その変化がゆったりとし
たものか、せわしいものかだけの違いである。世の中が”一日が千年のご
とし”のスピードで変化していくと、人は返って変化しないものにあこが
れを持つものだと思う。

商品の寿命が尽きるとき、その商品の価値は失われる。それと同じように
人の寿命が尽きるとき、人の価値は失われるのだろうか?
商品の社会的な使命が終わりを告げるときと同じように人の社会的な使命
が終了したとき、その人の価値は失われるのか?答えはたぶん違うと思う。
失われないとすれば、それは何か?たぶん文化だと思う!それは人の残し
た人生の軌跡であり、その人の実績が伝統となって未来の人の生きる杖と
なるからである。そう考えると、人の創造的な人生の価値は”永遠”と言
うことができる。

人の寿命に合わせるかのように、物の価値も創造されていく。その辺が面
白い。しかし、昔の新興住宅地に出くわすと、何だか胸が詰まる想いがす
る。そこは郷愁を感じさせる故郷のようではなく、年老いて生きる価値を
失った人の集まりのようだからである。確かに街にも成長期があり寿命が
ある。でも建物の寿命が現代では短くなっている。建設会社の営利のため
だ。それよりも街自体に思い出をつくる力がなくなってきている。
変わらない家や街、そこで育てる喜び、自分の成長の思い出、そういう力
を持っていることが故郷の条件のような気がする。

05年3月13日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。


格言-
つらが曲がっているのに、鏡を責めて何になろう。
---ゴーゴリー(ロシアの作家)---

鏡よ、壁の鏡よ、この世で一番美しいのは誰?鏡は答えた。
お妃さま、あなたがこの世で一番美しい。
再び鏡に聞いてみた。
鏡よ、壁の鏡よ、この世で一番美しいのは誰?鏡は答えた。
お妃さま、あなたはとても美しい。けれど、白雪姫さまの方が何千倍も美
しい。

白雪姫伝説である。ここに出てくる妃はどうも嫉妬深いこと天下一のよう
な気がする。自分が一番美しくなければならないのである。ところが、こ
こに正直な鏡がいた。鏡に何度聞いても、白雪姫が一番美しいという。
たぶんここで美しいというのは、外見だけの問題ではないのだろう。心の
美しさを鏡は見たのである。
要するに、心の曲がっている人がどんなにきれいに装ってみても、所詮は
誤魔化しきれるものではない。

若草物語にはこんな台詞があった「もし着飾ることばかりに気をとられる
と、いずれ見かけだけの人間になってしまうわ。外見の美しさは老いにむ
しばまれるけど、心の美しさは永遠よ。ユーモアや優しさ、そして勇気、
それはあなたの宝物よ。世の中は不公平かもしれないけど、希望は失わな
いで・・」
アメリカ南北戦争のころのニューイングランドに住む牧師一家の4人姉妹
たちの心豊かな物語である。

この世の中は如何なるものも時の流れの中で変化する。変化して美しいも
のもあるが、変化に耐えられないものもある。”枯れる”ということがあ
る。何と自然との調和が取れていることだろう。こういう変化は美しい。
銀杏が黄色くなるのも枯れていく変化なのだ。若葉が萌え出るのも変化だ。
調和やバランスの取れないねじ曲がった姿は醜い。どんなに着飾っても品
のなさはたちどころに見破られる。それを見なければならない鏡は何と不
幸だろう。僕が鏡ならば、割れて飛び散ってしまうに違いない。
でも、歴史は醜いものでも見続けてこなければならなかったのである。

05年3月12日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-協力とは、全く同じになって、全員が同じように考えることではあ
りません。
---ロッシェル・カップ(米経営コンサルタント)---

associate 連合させる、仲間に加える
agree同意する、一致する、(相手を喜ばす)
協力はアソシエイトであって、アグリーではないのである。
どうも協力という言葉から受けるイメージは、ある主体勢力にアグリーと
いうイメージが強いのである。
英語でのアソシエイトは、連合とか仲間というイメージなのだが、日本語
に当てはめたときに協力という意味にしてしまったのではないかと思う。

協力の”協”は、+に力が3個集まってスクラムを組んでいる。だから、
協力とは三つの力がプラスになるということを意味している。”一つにな
れ”という意味ではない。どうかしてしまうという意味でもない。それぞ
れ独立した力を持っていて、それらがスクラムを組んでいるのである。
それだから個性がいろいろあって、特徴がよくでるように思う。

岡山県に伝わる桃太郎伝説は、桃太郎が猿、雉、犬を連れて鬼退治にいく
という物語であるが、これらもまったく個性の異なる三つの動物が力を合
わせて鬼という目標を退治するという設定である。
実はこの桃太郎伝説は、朝鮮系渡来人と大和朝廷の権力争いに、大和朝廷
が勝利をした物語だともいわれている。ここで鬼とは、朝鮮系渡来人で時
代の先端技術である製鉄技術者の集団であったといわれている。
中央と地方権力の戦いがあって、ここでも中央は三つの勢力の力を得て勝
利したことを表しているのではないか?(僕の仮説?)

西洋には似たような考え方があるが、これはキリスト教でいわれるところ
の”三位一体”という考え方である。本来唯一である神が、三つの位相を
持って現れるというもののようである。いずれにしても違う三つの個性が
力を合わせると、何かを成し遂げることができるのだろう。東洋も西洋も、
3という個性の力を強調していることは、ここに勝利する秘密があるに違
いない。

05年3月11日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-あまりにも安く手に入るものは、非常に低く評価される。
---トーマス・ペイン(イギリスの思想家)---

ものの価値を決めるというのは、とても難しいところがある。価値決定基
準は何だろうと考えると、困ってしまう。市場価格というのがある。市場
でのやりとりの価値取引を価格とするのであるが、これも人の思惑に左右
される。元々、価値というものの本質は人間主体であるということであり、
その人間にとっての物の持つ有効性によって価値というものは決定される
に違いない。

商品の価値を価格で表現しようとするときに、いくらにすべきか?これは
大変なのだ。一歩間違えば、誰も買わないかも知れないからだ。高すぎて
も安すぎてもいけない。ところが、価値というのは非常に心理的なものだ。
売り手側の価値決定基準と書いて側の価値決定基準は何がどう違うかとい
うわけだ。それは物を媒体にして、売り手側と書いて側の思惑が違うのだ。
売り手側は利益、買い手側は商品の有用性である。

芸術作品なんて良い例である。ある人にとってはただの茶碗でしかない。
でもある人にとってそれは、非常に価値のある優れた作品なのである。
100円ショップで売っている物のように思っていたら、それが芸術作品
で何十万もするとわかった瞬間から、扱いが変わるなんていう話はよく聞
く。でも、芸術を理解していない人にとっては、それはやっぱり100円
の価値しかないのだ。価格や価値はその物に対する有効性だからである。
その物に対する有効性とは、その人の心理的な欲求を十分に満足させる物
であるかどうかということなのである。

相手のどんな欲求や欲望を満足させるか?それが、価値決定の大きな要素
であるということだ。その欲求の中には、見えないものから見えるものま
でいろいろある。販売後のことまで価値の範疇に入る。それをどう理解し
てもらえるかということなのだ。だから、情報が大切になる。情報は知識
と感情に影響を与える。情報量の大きさが価値や価格を決める本当の基準
なのだ。インターネット時代、そのことに人々は気がついた。でも、売り
手側に気がついていない人が多いのも事実だ。

05年3月10日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-思えば思われる。
---格言(不明)---

善の循環ということがある。ペイフォワードということかな!小さな良い
ことが次々に良いことを生んで大きくなっていく。そういうことなのだが、
物事にはサイクルというものがあるのだ。昔物語に「わらしべ長者」とい
うのがある。人々の小さな好意が大きな結果となって帰って来るというも
のだ。そういうサイクルをどうつくるかが人生の大きな課題ではないかと
思う。

人の考えや想いも、そういうものに違いない。人々の小さな願いが集まっ
て大きくなって、ひとつの潮流をつくる。インターネットいう世界は、ま
さにそういう人の思いの結集なのかも知れないのだ。われわれ小市民は小
市民ながらに分相応な願いを持っている。決して大それた野望は持たない
のが小市民たる所以ではあるが!それらを可能にしてくれたのがインター
ネットの世界なのである。だからこそささやかな想いを、善のサイクルに
載せたいと思うのは僕だけだろうか?

ダーウィンが進化論の考えをまとめようとしていたとき、同じように考え
をまとめていた人物がいる。ある地域の猿が芋を海水で洗って食べること
を覚えると、同時期に別の地域での猿も同じような行動をとっていた。こ
れはユングの集合的無意識とかシンクロニティといわれるものである。
これはある動作をする者の数が一定以上になると、突然にいろいろなとこ
ろで同じような動作が行われるようになるというのである。何がどうつな
がっているのか説明のつかないことがあることも確かだ。

思うことを続けていくと、いろいろな面白い現象が起こるのである。こん
な話もある。「おはよう御座います」の挨拶をしても返事をしてくれない
人がいた。その人に向かって変わらずに挨拶をし続けていくと、変化が起
こってきた。突然その人が返事をよこしてきたのだ。
思うことは必ず実践し続けてみることなのだ。そうすれば「想いの結果」
は必ず現れる。「想い」を持たなければ何事も始まらない。先ずは「想い」
を持つところから善のサイクルは出発する。

05年3月9日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-人の性格なんてそう簡単に変わるもんじゃない。
---朝倉かすみ(作家)---

性格とは何かを考えてみよう!性質とは違うのか?性とは何か?
「もって生まれたもの。生まれつきの気質・傾向・素質など」という答え
が返ってくる。性+格=性格というように考えると、性格と性質の違いが
わかるような気がしてくる。自分の持つ性質に格位が備わってこそ性格と
いえるのではないか!

そう考えると、性質は自分の持つDNAに起因するところがあるように思う
が、格位ということになると、それは人間の努力とか内容、それに社会的
な位置とかが大きく左右してくるように思う。性質に価値付けするのが性
格なのである。そう考えると、性格は変えられる、変化させられると考え
るべきである。

自分が嫌い!自分を変えたいと思う人がいる。そういう人に限って自分の
名前に自信を持っていなかったり、どこかしっくり来ないものを持ってい
たりする。自分を変えたい!そういう願望はどこかでみんなが持っている
ようである。ところがどう変えていいかわからない!ましてや自分はどん
な性格をしているのかとなると、答えられない人が多い。
そういう人は自分の格位を考えてみればいい。自分という人間のステータ
スをあげることなのだ。すると、頑固な人だと思われていた人が、あの人
は信念のある人だに変わってくる。優柔不断な人が、人付き合いのいい人
に変わる。そういうものだ。

ズバリ言おう!人間は変われるのだ!性格を変えようと努力する必要はな
い。どうしたら成長できるかを考えることだ。そうすれば、変わるのであ
る。変化とは、同じレベルで立場を変えることなのではない。レベルアッ
プをすることで、自分の格位をあげるのだ。すると周囲の見方が変わって
くる。まあ、中には自分の持つ性格のバランスが悪いという人もいる。そ
ういう人は「天使の占い」で改名してもらうといい。どちらにしても、レ
ベルアップを図るには自分よりレベルの高い人と付き合うことだ。変わり
たいと思う人は、「改名」も含めて挑戦してみることだ。

05年3月8日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-当方滅亡
---太田道灌(室町中期の武将)---

太田道灌は言わずと知れた関東管領職にあった扇ガ谷上杉家の家老である
が、この人はできすぎる人であった。というよりは、上杉家の方が相対的
に弱体化してしまっていたのかも知れない。
あの江戸城も当初は太田道灌が築いた城を家康が拡張したのである。戦争
に負け知らずで築城名人で知られた道灌も、主人に疎まれて暗殺されてし
まったのである。「当方滅亡」はその時のダイイングメッセージであった。

できすぎるナンバー2は危険な立場なのである。歴史を見ても、黒田官兵衛
は軍師として秀吉の側近くに仕えて、あの中国大返しを進言したことで有
名だ。その彼も、あまりに独裁者の近くにいることに危険を感じて、秀吉の側
から離れることになる。さすが軍師だ。共産党政権の中国でも、毛沢東の
ナンバー2にいた人物は皆粛正されてきた。”政権は銃口から生まれる”という
共産党のテーゼそのままである。

藤田まことが主演するテレビドラマで”必殺仕事人”というのがあった。
なかなか面白くて人気があった。その主人公の”中村主水”という昼行灯
の奉行所勤めの亭主が実はなかなかの切れ者、昼はあほのように振る舞い
ながら、その実裏家業が本職。法で裁けぬ輩を依頼によって処罰する私刑
人であった。できすぎるってことは敵を多く作るということでもある。それ
では、なかなか目標を達成できない。そこで、敵を作らないように、”
ダメおやじ”を演技するようになるのである。
人間出来過ぎてはいけないのである。結局、ナンバー1にとってナンバー
2は最大の敵なのである。そのことをよく知らねばならない。

道灌は「当方滅亡」というダイイングメッセージを残した。これは、自分
を暗殺するようでは上杉家も遠からず滅ぶぞという、警告でもあり、怨念
でもあったに違いない。葉隠れで有名な佐賀鍋島藩は、元龍造寺家の家来
であった鍋島氏が乗っ取った形になった。いつの世でも2番目は難しいの
である。結局はどこかでナンバー1になって棲み分けをするか、敵でない
ことを示しながら相続の道を選択するしか道はない。難しいのは相続する
方だ。これができれば、平和は長く続く。

05年3月7日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-無理するな。お前だけじゃない。
---井上剛(作家)---

「無理をすれば道理引っ込む」ということわざもあるくらいだ。無理は長
続きしない。「無理をしちゃあいけないよ」とよくいわれる。
無理とは、”理”が無いということだ。論理にかなわないことという意味
になる。じゃあ、”理”とは何か?天の理法のことをいうのであるから、
天地自然の法則に違反することは長続きしないということなのだろう。

理気二元論を説いた朱子学は、中国宋時代に生まれた。それまでの儒学を
集大成して、宇宙の根源と万物の生成を解き明かし、人間論を展開した。
本然の性は理にかなっているが、気は心に属し、様々な欲望やら感情に支
配されていると考えた。故に理をして気を制することが必要になるのであ
る。無理というのは、この理が様々な環境やら人情に邪魔されて、理が通
らなくなる。だから、理はそれらに負けてはならないのである。

中国や隣の韓国で共産主義がよく受け入れられた背景には、歴史的なこの
理気二元論が大きい影響を持っていると思う。マルクス・レーニンのいう
労働者資本家の二大階級理論は、この国の人たちの感情にぴったりと当て
はまったことだろう。いまでも多くの人たちはこの二つの階級の世界の中
で社会を構成しているのである。食べ物でいけば、宮廷料理とキムチみた
いなものである。豪勢な上流社会と庶民の煩雑な台所・市場の世界が同居
していて矛盾しない世界。理と無理の二つの世界が同居する不思議な世界
が東洋なのである。

日本はもっと不思議な国である。単純に思想で解析されない国なのである。
だから「日本教」といわれる。民族固有の宗教である神道を心情のベース
に、仏教と儒教で道を開拓し、それに西洋文化のキリスト教が花を添えた
ようなものである。だから何教でも、何思想でもない。日本人は日本人な
のである。そこに東洋の中で異色な花を咲かせた理由がある。
日本には日本でしか通用しない理がある。でもその日本の理は、果たして
世界の理として通用するであろうか?グローバル化はアイデンティティー
が要求される時代でもある。堂々と日本の理を主張すべきである。

05年3月6日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走る
ものなのだよ。
---シェイクスピア(イギリスの劇作家)---

時間の概念というのは、人間だけが持つものなのだが、その時間という単
位の長短の感覚も人によって違う。よく好きなことをやっていると、「気
がついたら昼だった」なんてことがある。その反対に嫌なことをやってい
ると、わずか1分の出来事が何時間もかかったように感じることがある。

時間というのは物理的に計算できる単位なのに、時間の長さは人によって
まちまちなのである。だから面白い。時間を管理できるようになると、
「人は仕事ができる奴」と評価するようになる。ある作業をやっていて、
悪気がないのにそれを妨害する人がいると、その人を表して”時間がやっ
て来た”というのである。すると、いわれた方はたちどころに時間の意味
を察知して、干渉しなくなる。これも時間の使い方だ。

時は金なり!腹時計!人間タイマー!サマータイム!時についての物語に
は事欠かない。でも、時は歴史でもある。時に刻まれた事実。そこに隠さ
れた人の思いは消えることはない。歴史の民といわれるユダヤの人々は、
バビロン捕囚から解放されたあと、建国の時、先祖を導いた神の名を呼ん
だ。アブラハム、イサク、ヤコブの神、エジプトから紅海を二つに分けて
モーゼを導いた神を民に思い出せた。歴史を重んじる民には力がある。何
故ならば、時には必ず始まりと終わりがあることを知っているからだ。

輪廻の思想だけならば、そこには力はない。末法という時の概念が仏法に
備わったので、釈尊の仏法は力を得たのだ。正法、像法、末法という三つ
の時代区分が1000年ずつ(正法は女性の教団参加により500年に縮
められた)になっている。釈尊没後いまや2500年たっている。世はま
さに末法時代といえる。西洋はイエス没後2000年の時を経て終末時代
といわれている。こういう時「新しい天と新しい地」が現れると書いてあ
る。不思議なことは東洋も西洋も、時を同じくしていることである。
ひょっとすると1000年の都は本当に来るかも知れない。

05年3月5日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-恋愛は二人でしているようで、実は一人でしているんですね。
---唯川恵(石川出身・直木賞作家)---

恋愛は男女が恋い慕うことなのだそうだが、恋愛にもいろいろとあって一
人恋愛というのも珍しくない。片思いというものになるが、複雑に絡み合
う人の心情を、ただの恋愛感情ということだけで片付けたくはない。
人を恋することは大切なことだ。思慕するという感情を持たない人がいる
とすればそれは心の歪を証明するようなものだ。

人を恋するという情動は、人間の根源的なものだ。もし人から恋をとって
しまえばいったい何が残るだろうか?醜い欲望だけなのかも知れない。恋
するとは何も男女の関係ということに限定する必要はない。
人が人に惚れるのは、いいものだ。ちょっと前にテレビを見ていたら料理
人・平野寿将氏は、矢沢永吉に惚れて彼の書いた本をバイブルにしている
そうだ。一人恋愛でも、彼の生き方を師匠にして自分の人生を決めている。

尼将軍といわれた北条政子の場合、この恋愛はすさまじい。頼朝の方とし
ては、監視役の北条氏の娘と縁を持てば、流罪の身から運命が開かれるか
も知れないという打算があったと思うのだが、北条政子の一人恋愛は一途
であった。頼朝が妾を囲えば、その住み処を急襲し家ごと焼いてしまうの
だから情動のパワーは恐ろしい。歌舞伎でやる八百屋お七の物語は、火事
の時に出会った男に恋をして、もう一度火事になればその男に出会えると
思い火をつけ処刑となったー1683年のことである。恋は心を燃やすエ
ネルギーなのだ。

恋愛というのは、二人という概念がある。でも、一人から愛情を持たなけ
れば相互の交流には発展しない。だから一人恋愛するのは正しいのだ。問
題は、その後の交流の仕方にある。情動の豊かさは確かにはエネルギーに
なる。しかし、その情動を運搬するのが理性であるといわれている。適度
の抑制された愛情はその人の魅力を増すことにつながる。欲する愛と与え
る愛、この二つのバランスがないと相互の交流には発展しない。そんなバ
ランスの感覚は、実は家庭という中で養われるのだ。
家庭が壊れていく現代、本当の恋愛をできる人が少なくなっていく。

05年3月4日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-政治家は手腕ばかり如何に勝れていても、徳望がなくてはだめである。
---辻善之助(歴史学者)---

同じようなことが経済人にもいえる。「徳望がなくてはだめである。金儲
けの手腕ばかりが如何に勝れていても」ということになる。
手腕と人望・徳望というのはどうも両立しないものらしい。
人望をひもといてみると、「他人から寄せられる信頼・崇拝・期待の念」
とある。要するに人を引きつけて、組織したり行動に走らせたりする特殊
な能力と考えてよい。

どうしたら人望や人徳というものをつくることができるのだろうか?世の
中の指導者という人を研究してみるといいのだが、人が集まって来るには
理由がある。飴に群がる蟻のようなこともあり得る。杜子春のようにお金
があると人が集まってくるが、なくなると蜘蛛の子を散らすように人が
去っていく。”現金なものだ”とはこういうことを言うのだろう!

田中角栄は、あれだけ人を引きつけてやまない政治手腕があったのだから、
何かをやるだろうと期待しておった。皆は人望よりは金権政治と批判をし、
人望よりは金望なのだろうとマスコミは批判をした。彼は国際政治には政
治手腕を発揮できなかった。日本独自のエネルギー政策をとろうとしたの
だが、国際的な謀略に彼自身がつぶされた。
政治の世界は狢の集まりなのだが、命をかけるという人が少なくなったの
は寂しい限りだ。

人気と人望は明らかに違う。何がどう違うかというと、人気には尊敬の念
がない。人望には尊敬の念がついている。人気はその人を評価しているわ
けではなく、勝手に”いいな!”という好みにすぎない。人望はその人に
対する人格と能力の評価が伴っている。重要なのは人格の評価という点だ。
それはその人の道徳的な精神の高さを表しているからだ。
バイブルにあるような「汝の友のために死すること、これ以上大いなる愛
はない」・・・ホリエモンには手腕はあるが、徳望のかけらもない。

05年3月3日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-忠告ほど、惜しげもなく人に与えるものはない。
---ラ・ロシュフーコー(フランスのモラリスト)---

ー忠告は善意の押し売りーということもある。忠告は得てしてする側の勝
手な思いこみと押しつけが多い。される方はたまったもんじゃないのであ
る。相手が先輩であったり上役であったりするとありがたがって聞くふり
をする。すると忠告する方は”やっぱりわたしの忠告は正しい”などと益
々思いこんでしまう。片や聞かされる方は苦々しく思っているが、”ごも
っとも”というスタイルを取っている。こんなところにも人間の図式が現
れている。

諫言というのがある。「目上の人に不正や欠点を改めるよう忠告する。禁
止する。制止する」という意味である。これは現代でも相当勇気がいる。
権力がひとりに集中していた時代は、諫言は命がけであった。でもそうい
う人がいるからこそ国や郷土が守られるということがある。愛情があれば
こそ勇気がでるのだ。忠告には命がけでない分だけ不遜な心が見え隠れす
る。

聖書には3つの考えがでてくるように思う。ひとつは神に対する契約であ
る。(この考えは日本人にはない)ひとつは神の予言ーこれは予言者また
は天使によってもたらせられる。そして祝福ーこれは約束の成就、契約の
成就を意味する。この3つは全てつながっていて、根本は神と人間の契約
から始まる。人が神の契約に違反しそうになると、予言者を送って忠告す
る。ほとんどが”このままでは滅びるぞ”という忠告なのである。もし、
契約を守っていればこんなにすごいことがおこるぞ!という神の祝福があ
る。例えば「創世記17/6ーわたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の
民をあなたから起こそう。また、王たちもあなたから出るであろう」

忠告も諫言も言葉の威力である。その背景には、それを語る人の権力や愛
情がある。いずれにしても言葉が威力を発揮するには、それを受け入れる
土壌というものが必要になる。そのことの方が大切なのだが、その土壌を
つくるのも日頃から「する側の愛情」が必要であるのはいうまでもない。
コリント人への第一の手紙13/1~「たといわたしが、人々の言葉や御使い
たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒
がしい繞鉢と同じである。・・・もし愛がなければ、わたしは無に等しい」

05年3月2日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-人は見ていないようで見ている。
---佐藤雅美(作家)---

人は見ているようで見ていない。
車を運転しているときは、こういうことがよくある。目は開いているのに
実は見ていないのである。別に寝ているわけではない。
頭の中はまったく別のことを考えているのだ。要するに脳の中では運転を
している最中の視覚に入ってくることを認識していないことになる。
昔の人の話を聞くと、酒を飲んで泥酔して車を運転した。どこをどう帰っ
たか気がついていたら家に着いていた。なんて話とよく似ている。

こういうのは人の内面の世界なのでわからない部分だけ怖い話ということ
になる。反対に、隣近所のことやよく買い物をするお店で出会う人のこと
など、何でもない人のようで実は意外によく知っていたりする。その人の
素性というわけではないが、風貌やしゃべり方など特徴を頭の中にちゃん
としまい込んでいるのである。
実は見ている見ていないは脳の中の問題なので、ひとえに意識と関心の高
さによるところが多いと思う。

感情に触るところの刺激というのは、長いこと記憶に残るらしい。
大脳皮質の古い部分が感情を司るらしいのだが、怖いのは年をとって、知
的な判断をする大脳皮質の新しい部分が壊れてくると古い感情だけで行動
するようになる。そんな時に人を憎んでいる感情が強く残っていたらどう
しようかとも思ったりする。ちょうど酒を飲んで頭の中が弛緩状態になっ
たのと同じである。怒り上戸がいたり、泣き上戸がいたり、イヤミ上戸が
いたり、粗暴上戸がいたり、スケベ上戸がいたり、などと考えると、年を
とって自分が~上戸になるのではないかと不安になる。

「壁に耳あり障子に目あり」とはよくいったものだが、人はこと自分に関
わりを持つこととか、自分の周囲のこととか、自分の感情に触ることとか
は無意識のうちに自分の頭の引き出しにしまうものなのだ。
だから、用心にこしたことはない。ところがそういう人間に限って、自分
も見られているという意識が少ないのに気がつく。人のつまらないことば
かりに関心を持つ人は”自己中心”という幼児性の脳から脱しきっていな
いのではないか!僕も反省してみよう!

05年3月1日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-賢者は長い耳と短い舌を持つ。
---西洋のことわざ---

長い耳は情報網、短い舌は失言をしない用心深さ、ではないかと思う。
いつも不思議に思うのだが、歴史の中で情報を扱う人が重要視されてきた
ことがないように思う。忍者という集団がいたというのですが、実態は小
土豪の群雄来割拠の争いの中で磨かれた技術が戦国時代の有力大名に利用
されて、情報宣伝と内部撹乱の役目を担ってきたようである。

秀吉の小田原攻めの時に有名な小田原評定は、北条家の情報収集のルート
が時間がかかりすぎた為という説もあるし、北条家の内部が創業時のよう
には一致していなかったという説もあるが、本当のところは、戦略ミスで
あろう。戦国時代にあって、京都や有力諸大名の情報をしっかりと把握し、
情勢分析ができていなかったためと思われる。あまりに関東に目を向けす
ぎていたのである。

歴史上情報の価値を唯一評価したのは織田信長であるといわれる。
桶狭間の戦いは、天佑があったとしてあまりにも有名であるが・・・、
いつの世でもそうだが、強いものは生き残れないのではないかと思う。
変な話だがそういうこともあるのである。普通は強い者が勝つと誰しも思
う。ところが情報の重要さは弱い者の方がよく知っている。強いと思われ
た者が突然倒れ、いままで弱かった者に取って代わられる。

弱者の戦略というのがある。その反対に強者の戦略もある。いずれにして
も、彼我の戦力や戦闘能力をどう評価するかということになるが、その根
本は情報の質による。どういう情報を集めるかということが問題なのであ
る。そういう戦略的な指示を出せるリーダーは、長い耳を持つことになる。
信長は桶狭間の戦いで、籠城か野戦かは最後まで口にしなかった。これも
情報である。最後はリーダーの情報センスの問題になる。
ウサギの耳は伊達に長くはないのだ。


天使の占い・遠山球希

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