赤ちゃんの命名 改名相談 画数 姓名判断 相性

  • お電話でのお問い合わせ
  • 076-286-5226

格言日記19

日記風の格言

個人の運勢・運命・相性占い申込
個人相性申込
赤ちゃんの名前・姓名判断申込
命名鑑定申込
運勢・運命を変える改名・ペンネーム申込
改名鑑定申込

05年4月30日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-声無きに聴き、形無きに視る。
---礼記(中国の古礼に関する記述)---

”以心伝心”とは少し違うが、見えないものを見るという作業は日本人は
得意であったはずだ。
”あったはず!”というのは、最近の人はこの見えないものを見るという
ことができなくなってきているのではないか?ということなのである。

その証拠に、若い世代は(僕も十分に若い?)子供の様々なサインが見え
なくなってきているようにも思う。恋人もそうだ!表現できない微妙な感
情を相手に伝えるためのサインを発信しているのに、それを察知できない。
離婚がふえていくのもわかるような気がしてくる。

妖怪が日本の社会から消えてしまっている。ゲゲゲの鬼太郎もその故郷は
観光化しているそうだ。見えないところが神秘なのに、見えてしまっては
物事の本質がわからなくなってしまうのだ。神様は見えないから良いのだ。
神様が見えてしまったら、人は”敬う”ものがなくなってしまう。
”恐れ入る”というのはとても重要な感情なのだ。

日本人の繊細さというのは、そういう長い歴史をかけて見えないものを見
続けてきた結果というものなのだろう!だから、”心のひだ”というもの
がわかるのだ。互いにそういうところを持っているために、心のやりとり
の駆け引きが微妙なのだ。そこが楽しい。ところが、欧米のように表現し
た世界だけがすべてのようになると(僕の認識不足もあるが、そのように
思われる)パフォーマンスした世界だけしか信じようとしなくなる。
現代人の心は「となりのトトロ」や「まっくろくろすけ」は見えないのだ。
本当はそこが楽しいのにね!

占い一言居士:
改名という考え方ができる人は、頭の柔軟な人だ。何故かというと、自分の
取り巻く様々な精神的な、霊的な環境をいっきょに転換できるからだ。
だからこそ、改名は真剣にならざるを得ない。自分という人間のカテゴリーを
決めることになるからだ。

05年4月29日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-世の中、楽して生きていけるなどということはあり得ない。
---佐藤雅美(作家)---

楽して世の中生きていけたらどんなにかいいのになあと!誰しも思ってい
る。どうしたら楽して生きていけるかというと、結局お金があれば楽でき
るという結論になる。そして、一生懸命楽して生きていくことを目指して、
お金儲けに走るのである。

どうしたらお金が儲かるか?皆それぞれ知恵を絞って、今度は楽してお金
が儲かることを考える。ところがお金は決して楽して儲かるという代物で
はないのである。昔から「金儲けか死に病か!」などといわれて、金儲け
というのは、相当しんどいというのである。

昔話で長者という人がいた。こういう話に出てくる長者になったという人
は、だいたい決まっている。人がよくて、親切で、神仏に信心が篤かった
というものである。反対に没落した人はだいたい意地悪で、人に悪いこと
ばかりしていて、信心が薄いというものである。
わらしべ長者という話もある。これなどは巡り巡って長者になるというも
のだが、長者になる人の条件に”知恵”が大切であることをいっている。

人は楽をして生きていきたいと様々なものを発明してきた。楽をするため
にとお金を稼ぐことに努力してきた。人は結局楽をしたいといいながら、
楽のために”苦労”を強いられてきたのだ。問題はその苦労の中身なのだ。
楽のための苦労だが、そこに”徳と知恵”が加わるのである。何ともしん
どい話ではないか!そう考えると、楽をして生きるためには、三つの技術
が必要になる。Ⅰ-生きる方法の技術、Ⅱ-金儲けの技術、Ⅲ-徳を身につ
ける技術
この三つを兼ね備えた人はそうそういるものではない。

占い一言居士:
「占いに頼るのは嫌いだ!」そういう人がいる。その通りといいたい。
何事もそれに頼りすぎるのは”危険”なのだ。占いも一つの情報として、
それをどうやって使うかということにかかっている。情報を使えない人は
”頼る”ことによって自分を見失う。

05年4月28日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-俺が決めた!だから俺が結果を引き受ける。
---松樹剛史(作家)---

責任逃ればかりする世の中になってきた。一つの事件が起きる背景には様々
な複合的な原因が寄り合っている。そういう錯綜した原因がいっそう真実を
わかりにくくする。昔読んだ本の中に”複合侵略”という本があった。侵略
は軍隊だけではなく、芸術や伝統芸能、マスコミなど様々な分野で侵略が進
んでいるということだ。気がついたときはもう遅いのである。

自分で決めたことを自分でする。当たり前のようだがそういう教育が日頃な
されていない。だから、日常的に「何で俺が!」「俺だけじゃあないよ!」
「あいつだって同じじゃん」ということがいわれている。こういう言動を周
囲が許しているというのも、ダメ社会をつくる原因になっている。

世の中「いい人」「悪い人」「普通の人」に分けることもできる。「普通の
人」はどちらにでも傾く人という意味である。難しいのは「普通の人」にな
ることである。どこにいても、人はどちらかに所属している。だから、事件
や問題がおこるとすぐに「普通の人」になろうとする。「普通の人」は、ど
っちつかずの責任がないからである。都合が悪くなると、急に「普通の人」
になる。

お釈迦様は、”因”と”縁”ということをいわれた。”縁”は小さな”因”
が集まって原因をつくるという。”因”は”縁”を集める根本的な原因をい
う。複合的な原因があっても、本当の根本的な原因があるのだ。
常に原因存在になれるということが大切なのだ。原因存在であればこそ、責
任も自ずとついてくるし、結果も自分になる。自分が物事の出発点になって
いる。そういう先駆者の精神がこれからは必要だ。

占い一言居士:
占いというのは、多くの人が「なんだ!占いか?」男性は特にそういう傾向が強い。
考えて見見れば、人生そのものが占いのような気がする。何故かというと先が
見えないことには変わりはないのだ。だからこそ、人は自分の生き方に根拠を
求めるものだ。命名には、そういう親の願いがたくさん込められているのだ。

05年4月27日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-自分の居場所は、自分で選ぶことができる。
---熊谷達也(作家)---

人には存在するためのテリトリーがある。
このテリトリーは、動物で考えるとわかりやすい。例えば、マーキングとい
うのがある。自分のしっこをかけて臭いで、テリトリーを示すのだ。
こうして自分の縄張りに敵が侵入してこないようにするのだ。

人間の場合は、このテリトリーをマーキングのようには決定できないから、
別の方法で決めるしかない。どうするかというと、社会的な地位を得ること
にある。この地位には権力が伴うから、自ずと自分の勢力範囲が決まってく
る。

社会的な地位のない人はどうなのかというと、それでもちゃんとテリトリー
はあるのである。自分の守備範囲である。そういうものは、自分が日頃の業
務や生活の活動の中で、少しづつ周囲に納得させて周知させることによって
生まれる。それが既得権益になる。人間というものはそういうテリトリーの
積み重ねで自分をつくっていくように思う。それが実力だ。

役人はどうもいけない。公権力を持ちながら、それをあたかも私的な権力の
ごとく取り扱って、自分のテリトリーをつくるからである。民間が表面上は
役人に頭を下げながら内心バカにしているのは、公権力の私的な流用という
自分の実力でない部分で大きな顔をしているからなのだ。
自分で自分の居場所をつくれない役人は人間的には、半人前と思ってしまう。
税金を無駄遣いする社会保険庁などは役人組織としては存在しない方がいい。
(※そうでない優れた役人もいることをお断りしておく)

占い一言居士:
命名で相変わらず「吉、凶」の数字にこだわる人がいる。親であればこそ、
少しでも不幸の種は摘んでおきたいというのだろう!
それでも、「吉、凶」の数字にだけこだわるというのも、付けられた本人が不幸だ。
なぜならば、「吉、凶」の数字にだけこだわれば、それだけ運命のバランスが
崩れてしまうからだ。親の心は複雑だ。

05年4月26日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-ほどほどに愛しなさい。長続きする恋は、そういう恋だよ。
---シェイクスピア(イギリスの劇作家)---

一途な恋ほどやっかいなものはない。
といっても相手からそんな一途な恋を告白された覚えもないし、僕の容貌で
は、今後もたぶん永遠にありっこない?だろう
だいたい恋というのは、一途になりやすいもので、また一途でなければ恋と
はいえないのかも知れない。

「愛は盲目」というけれども、一途になるから見えるものも見えなくなると
いうことなのだろう。だから恋に”ほどほど”というのは、実は恋とはいえ
なくなっているのではないかと思う。だから「ほどほどの恋」は一途さが峠
を越えて里心が出てきはじめた頃の恋だから、もう終わりに近い恋なのだろ
う!

「アリランアリラン、アリラン峠を越えていく。わたしをおいていく君よ!
10里も行かないで発病するよ!」
この歌は、有名な歌ではあるが、恋の一途さの恐ろしさを歌っている。一途
な恋の終わりには、このような”恨み節”が待っている。恨みだけで終わら
ず、それが実行に移されると事件になる。

恋に恋するということがある。若者によくあることだ。人を愛するというよ
りも、恋というものが知りたいだけなのだ。だから、恋は「危険な遊び」と
とられることもある。だからといって「恋心」がいけないというのではない。
人の為に何かをするということからはじまり、それが「恋」へと発展するの
は「恋への恋」ではないから良いと思ったりする。
ゲームのように「恋する恋」は刺激も大きいが、ショックも大きいことを知
るべきだ。

占い一言居士:
赤ちゃんの時から少年期までが大切だ。何故かというと、この時期に運命式
の基礎、土台が作られるからだ。ここでは、個人の運勢ではない、親子の相
性が大きな力を持っている。だから親子の相性占いは、命名の時から見なけ
ればならないのだ。

05年4月25日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-勝ち逃げこそが博奕における唯一の必勝法だ。
---花村萬月(作家)---

博奕は嫌いだから、パチンコすらほとんどやらない。「労多くして功少なし」
だからだ。僕にとっては無為な時間を費やすことになるからだ。
本当の理由は、「人生そのものが博奕」と思っているからだ。

もう一つ、20代の頃に”競艇”に一度だけいった。そのころ20万という
金を持って「一度で使う」ことを決めていったのだ。人が買わない組み合わ
せばかりを”特券”で買った。ついに最後のレースになった。残ったのは帰
りの交通費と、1000円札1枚。やっぱり最後の千円札で誰も買わない番
号買った。そこで大番狂わせがおこった。第6コースを走っていたボートが
いきなり切り込んだ。転覆した。大乱戦になった。そして、僕は千円で20
万を取り戻しておつりがきた。

甥っ子がパチンコにはまっている。我が家へ立ち寄るのは、パチンコへいく
ための口実だ。ところが、毎回決まって儲かっているように口走る。本当の
ところはわからない。パチンコといえども博奕の一種に違いない。これには
まればいつの間にやら大きな負債を被ることになりかねない。
パチンコが原因で離婚などという話もよく聞く。甥っ子は一定の掛け金を超
えたときは、負けたまま帰ってくるルールを決めているそうだ。

僕は賭け事はしないことにしている。それは、人生そのものが博奕みたいな
ものだからだ。常に未来に向かって何かを賭けている。
博奕だからいつもスリル満点というところだ。でも、こんな刺激は身を削っ
ているようなものだから、その上にまた身を削るような賭け事をして何にな
るのだ。そう思ってしまう。金をかける大博奕は一回の競艇で十分すぎるほ
ど体験した。終わったあと、今日の一日は何だったのだろうと、飯を食いな
がらしみじみ思ったものだ。

占い一言居士:
よく結婚前は「こんな女じゃなかったのに!」「こんな男じゃなかったのに!
」という相談が多い。離婚するようになってから「相性占い」見ても遅いの
である。結婚して名前が変わるというのは、新しく命名されたのと”同じ意
味”を持つ。人は結婚して初めて名前の持つ力によって変わるということを
理解するようになる。

05年4月24日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-いつまでも子供扱いにしないで下さい。
---杉本章子(作家)---

「いつまでたっても子供」というのが、大きくなった子供に対する親の偽ら
ざる”気持ち”なのだろう!たぶん、長年の習慣で「子供扱いにする」とい
う気持ちがなくても、自然とそういう言葉遣いになってしまっている。
そういうことなのかも知れない。

大人になた子供の方から見れば、成長したんだから「それ相当の対応」をし
て欲しいというのが本音だろう!どこの家庭でも、そんな光景は見られる。
親の立場、子の立場、それぞれが微妙に変化していく中に、どこかで通過し
なければならない儀式みたいなものかも知れない。

母系社会、母子家庭、そんなことをいわれるような社会が日本の社会である。
母の日は盛大に祝われても、父の日は「そんなのあったっけ?」というくら
いである。それだけ父親の存在自体が”希薄”になっているのだろう!
父権不在の社会といわれる。それだけ、日常の生活の中で母親との接触が頻
繁であり、影響が大きいことを物語っている。それだけ大人になりきれない
子供がいるということなのだ。

何も「怖いお父さん」でいる必要はない。父親がいつから必要なのかという
ことなのだ。父親は見えなくてもいいのだ。いつでも、重要なポイントの時
に「お父さんの出番」はあるのだ。でも、お父さんの出番をどうやって演出
するかはお母さんの仕事なのだ。それができていないところに問題があると
考えた方が良い。子供にとって「お父さんは真理の基準」「お母さんは愛の
基準」、そうあるべきだ。いつの時代でもこれは変わらない。

占い一言居士:
よく占いや相性占いをしていて、断定する人がいる。相談にきている人から
見れば、確信を持った断定は信じざるを得ない。何故かというと、自分で検
証するすべを持たないからだ。でもこういう占いはほぼ「インチキ」が多い。
占いは選択する道筋を示してあげるだけなのだから、方向性が提示できなけ
れば意味がない。

05年4月23日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-右か左か、そのときは小さな選択でも、あとあとの結果は大違いだ。
---有吉玉青(作家)---

運命というものは、自己の判断と選択の連続で成り立っている。
決断と選択を間違うと、後々とんでもない結果が待ち受けている。ところが、
自分の選択はそのときは正しいと誰しも思って決断するのだから、あの時の
判断ミスが問題だったなどといってみても始まらないのだ。

一番の問題は、選択をしたときのその後の検証である。また、選択の結果に
対する戦略性ということになる。そういうものがないと、そのときの選択が
正しくても結果的に、うまくいかないということだってあるのだ。

射撃というスポーツは今でも大好きなスポーツである。若いときは自分の若
さに任せて、自分の銃で遊んだものだ。多いときは全部で5丁ほどの銃を持
っていた。中でも忘れられないのは、エアーピストルである。マイガンは
「ドイツヘンメリー社のガス式」の銃である。ピストルは、岡本道雄先生に
師事した。この時、先生が一冊の本を紹介してくれた。オイゲンヘルゲルの
「弓と禅」である。

先生の指導は「自らの心臓を打ち抜け!」だった。射撃というのは、本当に
小さな決断の連続だった。少しのミスも許されない。妥協ということができ
ないのだ。ミスがあったときは、躊躇なくはじめに戻ることが大切だ。それ
ができないときは悲惨な結果を招く。手元で起きた小さな照準ミスは、10
メートルの標的に弾が到達したとき、とんでもない結果になることは明白だ
った。

占い一言居士:
人の運命式を見ていると、突然自分の目の前に人の幻が現れる。その背中に
は「運命式という宇宙を背負っていた」のである。数字の中に人の歩みが現
れている。できればよい幻を見たいものだ。

05年4月22日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-自分で仕事を選ぶことはできるが、それには自分の能力を磨いておか
なければならない。
---原井新介(富士ゼロックス人事企画グループ長)---

最近は自分で仕事や職場を選ぶ時代になった。昔は「お上の鶴の一声!」で、
「恭しく承ったものだ」。それは”期待と信頼関係”というバランスの上に
成り立っていた。選ぶ方は、その責任と期待を持ち、選ばれた方はその義務
に答えようと努力を怠らない。

自分という人間を選んでくれたということは、自分という人間をしっかりと
見つめていてくれて理解していてくれたのだという、”信頼”が生じる。選
んだ方は、「自分の鑑識眼」を信じて、バックアップする責任を持つ。
そういうことだ。

現代は不信の時代なのかも知れない。下克上なのだろう!だからこそ、自分
で自分を売り込まなければ、誰も自分を見ていてくれない。そういう時代だ。
それだからこそ、能力主義のスローガンが出てくる。力のないものは落ちて
当然なのだ。自分に投資しないものは忘れ去られるというわけだ。

ところがこういう時代は「異常な時代」と考えていい。社会のシステムが変
革する一時期には、新しい「経」の秩序が安定するまで英雄豪傑が出現する。
でもそれをすぎると、社会は能力中心主義の英雄豪傑を必要としなくなる。
一人勝ちは認められないのだ。
社会の中心が定まれば、富の分配がちゃんとなされなければならない。これ
ができなければ、再びシステムは変革を余儀なくされる。

占い一言居士:
黄昏時、買い物をした主婦が家路を急ぐ。夕食の食卓は大切だ。何故ならば
一日の収穫を占うときだからだ。ここが楽しくないとき、明日の希望は少な
くなる。

05年4月21日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-人にはそれぞれ役割というものがあるのさ。
---海老沢泰久(作家)---

役割ということは、自分の天職とは何だろうか?ということと似ている。
自分は何に向いているのだろうか?
小さいときはそんなことをよく考えたものだ。まあ、考えただけでまとまる
わけがない。衝動的に電車の運転手とか、パイロットとか、船長とかなどと
勝手に考えたものである。

ところが役割というのは、自分の個性と同じで、自分の個性って何だろうと
考えはじめると、ますますわからなくなってくるのである。
進路を決まるときなどはそうである。社会に出てからは、この仕事自分に向
いているのだろうか?そんなことを、仕事がうまくいかないときにはすぐに
考えはじめる。

使命は何かなどとたいそうな考えを持つ人がいるが、そういう人は危険であ
る。人間の社会でそういうTOP層に入れる人はごくわずかなのであるから、
そういう人は、自分の使命を自ずと自覚してくるようになる。世の中には自
分は人とは違うんだと思いたい人も多いのだが、それよりも「十把一絡げの
自分」ということを知ることだ。その方が気が楽だ。

野球でいえば、(野球をあまり知らないので、例題に出す資格はないのだが)
先発投手ではなくて、中継ぎ投手くらいに思っていればいいのである。人生
にそう難しい役割なんてないのだ。何ができなくても、平凡で無事に子孫に
バトンを渡すことができればいい。それが役割だ。と思っている方が悩まな
くていい。しかし、無事にバトンを子孫に渡すということができない人が多
いから、これは立派な役割といえる。

占い一言居士:
いずれ爺と婆になる。そして年金生活が待っている。その年金も今のご時世
当てにならないときている。「占いでは私は老後どうなるのでしょう?」そ
んなのは占いではない。”ありとキリギリスの論理にすぎない”準備なき者
は滅びるのだ。秘訣は、運勢のあるときに準備しておくことだ。

05年4月20日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-恋愛はしろ。結婚はするな。
---家田荘子(作家)---

いつまでも若くいる秘訣は、恋愛をすることだ。逆に言えば恋愛もできなく
なるほど心が枯れてしまっては、もうお終いだ。
だから、恋愛を推進するのもわからないわけではない。確かに、恋愛は人間
にとって超刺激的なのだ。何歳になっても性欲が衰えないのと同じことだ。

その辺は女性と男性は少し違うみたいだ。刺激を自分でつくりたい男と、刺
激を欲する女とでは構造的な違いがあるようだ。どちらにしても、楽しい刺
激は歓迎だ。世の中なかなか楽しい刺激というのは少ない。それでも、大昔
から比べれば刺激は多くなったが、欲望むき出しの刺激ばかりが目立つ。

結婚というのは、義務と規制が伴うから「自由」を満喫したい人には、結婚
という形態をいやがるのは無理もない。法的な拘束力は自分の自由性を奪
うからだ。ところが、人は結婚にこだわる。どうしてなのだろうか?
ここで結論が出るような問題ではないが、結婚というのは見方を変えれば所
有権を決定する証明なのだ。お互いに「誰のもの」なのかを決めるのだ。

結婚しない恋愛というのは、自由がありそうで実は自分で自由を規制してし
まっていることに気がつかない。
結婚しない恋愛は、ところ定めぬ行脚をしているようなものだ。一人だけの
自由よりも、二人になった自由の方が、自由の幅が大きく広がるのだ。何故
かというと、相手を所有するからこそ、相手の自由までも自分のものになる
という足し算だ。
算数のわからない人が「結婚しない恋愛をする」ということだ。

占い一言居士:
劇的な出会いがあると、運命的な出会いだったと人は強調する。本来運命は
人の生死にかかわるものだから、これは神の領域である。ならば運命的な出
会いとは何か?自分が強い吸引力で自分でも知らない間に相手を引きつけた
のだ。そういうことはあるのである。

05年4月19日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-初対面で信頼されるには、とにかく相手の話を聞いて、聞いて、聞きまくる。
---佐藤綾(パフォーマンス協会理事長)---

話のうまい人は「聞き上手」とよくいわれる。こういうのも一つの技術だ
から、会得してしまえば「なーんだそんなことか!」となってしまう。
しかし、中にはこういうことに優れた人もいる。自分のことは何も言わな
いのに、相手のことを根掘り葉掘り聞き出すのがうまいのである。知らな
い間にぺらぺら喋って、あとから「何であんなことを喋っちゃたのか?」
と後味の悪い想いをすることがある。

話っていうのは、互いに楽しくなければいけない。話が終わったあとに余
韻が残る。そして、思い出して「また会いたいな!」そう思い出すように
なったなら成功である。話というのは双方向であって意味がある。ところ
がこういう双方向で話し合いができる人というのはそう簡単には見つから
ない。

よくパネルディスカッションというのをやっていたりする。こういうのに
参加すると、いつも幻滅を感じて帰ってくる。ディスカッションではない
のだ。質問と解答がもんきり調でかみ合わない。まだ、講演会で一方的に
拝聴奉るという方が救いがある。会話が弾むにはレベル差がありすぎては
いけないのだ。もし知識や内容に差がありすぎると、先生と生徒になって
しまい、まったく面白くなくなる。

国会討論が面白くないのは、「わたしつくる人、わたし食べる人」ってな
具合で野党はひたすら追求、政府は答弁のみだからである。要するに国会
が面白くないのは、野党が追求型でしかないからである。様々な情報と内
容を持つ政府官僚に対して、それに見合うだけの論陣を張れないでいるか
らである。
話をするというのは相対的なつながりなのである。これがないと、話とい
うのはうまくいかない。そう考えると、一番つながりの深いのは”妻”や
”夫””子供”であるから、家族が一番話ができなければ変なのである。
その夫婦や家族で話ができないという変な状況が多く出現している。これ
は、「つながりの崩壊」という危機的状況を意味している。

占い一言居士:
仕事がうまくいかない。仕事運を見て欲しい!こういう人もいる。実は仕
事運というのは、本人自身と密接なつながりがあるのだ。仕事運が悪いの
で自分はうまくいかなかったのだ。これは、逃げ口上なのだ。本当は仕事
運を生かす努力がなかっただけなのだ。

05年4月18日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-どんな子供でも、人間として生を受けた以上、立派に育ってゆかな
くてはなりません。
---沢田美喜(エリザベスサンダーホーム創設者)---

「どんな子供も立派に育ってゆかねばならない」この言葉の持つ意味は深
いですね!などと、僕が語るほど資格はないのですが、それでも、この言
葉には久しぶりに感動しました。こういうことはそう簡単に語れるもので
はありません。

何にしても「育てる」というのは、困難を伴うものです。女性というのは
不思議なもので「育てる」ということに本能的に適合しているように思い
ます。”命”あるものに関心を抱き、”命”あるものに慈しみを自然に持
ちます。女の子は幼いときからその”遊び”にも暖かく命あるものに自然
と親しみます。女性がいないと、やっぱり子供は育たないのではないかと
思います。そう感じるのは日本が母系社会のせいかもしれませんが?

相変わらず様々な事件が新聞紙上をにぎわしています。もちろん新聞に載
るくらいですから、その事件自体が特異性のあるものに違いないのでしょ
うが、それでも子供に関する事件はあまりに多い。一番悲しいのは子供の
自殺です。そこまで心を追いつめたものは何なのでしょうか?
縁があってこの世に生を受けた”命”を自ら絶つというのは、どうしたこ
となのでしょうか?こういうニュースに接すると憤りは親に向かってしま
います。

沢田美喜さんはあの三菱の創設者”岩崎弥太郎”の孫娘ですが、外交官の
沢田廉三氏と結婚しました。戦後の混乱期の中、社会から捨てられた米日
の混血孤児達を引き取りエリザベスサンダースホームを設立しました。そ
して、様々な差別と戦いながら混血遺児の母親となったのです。彼女は社
会から受け入れられない遺児達のためにブラジルに働く農園を建設し、多
くの遺児達の養子縁組をしました。沢田美喜さんは1960年 女性人権
貢献賞「エリザベス・ブラックウェル賞」を受賞。1972年には勲二等
瑞宝章を受章しています。
「どんな子供でも、人間として生を受けた以上、立派に育ってゆかなくて
はなりません。」実践をした人の言葉には「命の響き」があります。

占い一言居士:
結婚できるかどうか見て欲しい!そういう人がいる。そういう人には必ず
こういう質問をしている。「相手を探す努力をしていますか?」努力もし
ない人を占っても”意味がない”のである。占いはがんばる人の為のアド
バイスなのだ。

05年4月17日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-うまくいくときは、あれよあれよという間に話がまとまってしまう。
---五木寛之(作家)---

まったく話というのは、調子に乗っているときにはどういうわけか”事が
うまく運ぶ”のである。物事というのはそういうものかも知れない。
うまくいかないときというのは、悪いものがついているのではないかと思
うほど何をやっても調子に乗らない。

昔から”ついている””ついていない”とはよくいったものだ。これは体
験した人しか実感が伴わないのだろうが、まるで自分以外の力が働いてい
るかのごときなのである。そんなことは信じないと言う人は多い。信じる
信じないは水掛論争になってしまうのであるが、どちらにしても良いとき、
悪いときというのは確かにある。

大罪を犯せば仏罰が下るとは、昔の人は見なそう信じていた。実際そうだ
ろうかと考えてみると、そうでもなさそうな気がする。自分の政敵を皆殺
しにして平和な生活を送った王様もいるし、織田信長なんかは比叡山の焼
き討ちをやって多くの僧侶を殺している。それでも信長一族は生き残った
し、その血筋を引く「おいちの方」の3姉妹は、「淀君」「京極の方」
「二代将軍秀忠室」となって、結局は天下に最も近い位置にまで上りつめ
たのである。

物事をうまくのせられる運勢を持った人はいる。まずいことがばれても、
そのことがうまくおさまってしまったり、そういう人はいるのだ。だから
といってうらやましがっても仕方がない。「その時だけ」をみれば不公平
のようには見えるが、長い時間という尺度でみればどこかで帳尻が合うよ
うになっているのである。だから、自分の代だけで考えないで、次世代に
思いをはせ、そういう教育に力を注ぐべきであると思う。

占い一言居士:
いつ見ても赤ちゃんはかわいい。動物でも何でもそうだ。これがかわいく
なければ弱い立場の赤ちゃんは生きていけないだろう!でも、命名は将来
を予想して「願いを込めて」つける。かわいいだけでは、ペットと変わり
ない。

05年4月16日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-人生に於いて唯一人の人をしか愛し得ないと考えることは、やや文
学的にすぎる。
---福永武彦(作家)---

人を愛することは簡単にできるようで、実はこれほど難しいものはない。
愛情には、エロースの愛とアバペーの愛がある。どっちの愛情でもかまわ
ないが、人を愛することは永遠のテーマである。文学的には愛情のあり方
を理想的か、超現実的にクローズアップして独特な表現を用いれば良いの
であるが、煩雑な現実社会の中での愛はもっと複雑である。

世の中自分自身を大切にしない人が多い。自分を愛することができない人
が何故人を愛することができるのだろうか?
簡単に同棲し、簡単に別れる。ちょっと好きになったということで簡単に
SEXをする。世の中ついに文学のネタにつきない事態になった。文学者
にとっては良いのだろうが、普通の人にとっては住みにくい世の中になっ
た。何故か、結婚相手を捜すのにも苦労するからである。

自然界の掟は実に厳格であって、油断も隙もないのである。それは”種の
保存”という大テーマのもと、結婚は行われているのである。より強い者、
または強さの象徴を持つものが結婚を許されるのである。これは生き残る
ための自然が作り出した知恵なのである。この前テレビを見ていたら、タ
スマニアンデビルの結婚シーンがあった。青木さやかのようにすぐにかみ
つくのだ。それに負けないでかみつき返す雄のみが伴侶としてえらばれる
のだ。

人は最も崇高な”愛”を語りながら、その”愛”故に自己を滅ぼしている。
愚かといえば愚かであるが、その愚かな人間が万物の霊長として君臨して
いることに、自然は文句を言わないのだろうか?
「多くの人を愛する」そういう”愛”が必要ならば、少しは「マザー・テ
レサ」を見倣うべきだと思うが!どうだろうか?

占い一言居士:
よく「水があう」「水があわない」などという。確かにそういう自分にし
か分からない相性というものがある。離婚の原因に性格の不一致というの
がある。まあ、とってつけたような話だが、夫婦というものは相手に合わ
したり、合わしてもらったりと、互いに譲り合っていることが必要なのだ
ろう!「俺に合わせろ!」は演歌だけの世界だ。

05年4月15日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-昨日の自分は記憶に鮮やかだが、明日の自分は想像の範囲外だ。
---篠田節子(作家)---

昨日の自分と今日の自分、明日の自分は同じなのか?
そんなことを考える人はそうはいないと思うが、そういうバカなことを考
えてみるのも一興である。果たして昨日、今日、明日の自分は連続性はあ
るのか?無常観からみれば、昨日と今日と明日は何の連続性もない。「つ
ねならむ」の世界だから、昨日の自分は今日の自分ではないのだ。もちろ
ん明日の自分は今日の自分とは違う。

ということは、今日の自分は昨日の自分と同じ人だと思っているのは、そ
のように勝手に思いこんでいる周りの人なのである。実は自分も昨日の自
分と今日の自分が同じ人だと思いこんで生きているにすぎないのかも知れ
ない。本当のところは別人なのにである。常に生まれ変わっている自分が
いる。そう考えるだけで面白くなる。

これは良い意味では、新しい自分を発見できるのであるが、悪い意味では
自己の正当化につながり、過去という歴史性を無視し、自分自身を隠蔽す
ることになりかねないのである。キリスト教にも「新生」そして「復活」
という概念がある。こういう概念は個人個人が勝手にとらえているから、
それぞれの「新生」という考え方がある。そういう意味では人間は、
価値観で自分を造るということがいえる。

自分は将来どんな人間になるのか?将来何をしているのか?様々な希望を
抱きながら、想像し、明日を夢見ている。
その夢が明日への自分との連結があるかどうかは別であるが、人はその夢
連続性をまるで”信仰”のように信じて人生を歩んでいる。
だからこそ、人間は自分を信じている。そして夢を信じている。
実際に起こる出来事が夢と異なっていても、それが問題ではないのである。
重要なのは「生まれ変わって別人である自分が、過去と連続性がある自分
であるということを信じている」ということなのだ。

占い一言居士:
たかが命名、されど命名!なのである。これほどやっかいなものはない。
またこれほど責任を感じるものもない。だからゴッドファーザーなのだ。
将軍家から一字を拝命した。こうなると、切ることのできない”縁”がそ
こに生じることになるから、裏切ることができなくなる。やっぱり、命名
は「こだわる」ことが大切だ。

05年4月14日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-すべての人間が納得する人事などありえない。
---横山秀夫(作家)---

人事権というのは、とてつもなく大きな権力である。
共産主義政権などでは尚更である。何故かといえば、すべてが公なので、私
有財産などは端からない。あるのは、公的な権力行使だけなのである。従
って地位が上がれば、それに伴い権力が大きくなるから、自由もきくように
なる。もし、地位を失えばすべての権力を失い、当然その恩恵も一切なくな
ってしまう。財産も、あらゆる特権は地位とともにあったのである。

そういうことを考えると、徳川家康という人は、権力が何ほどのものなのか
をよく理解していた人ではないか?
何故かというと、外様大名には広大な領地を領有することを認めながら、幕
府の大きな権力構造の中には入ることができなかった。その反対に、譜代大
名は小さな領地しか領有できなかった。しかし、幕府という巨大組織を動か
す大きな権力を手にする資格を得ることができたのである。
それは実に人間の欲望というバランスを考えた措置といわざるを得ない。

その昔中国には”隠者”という人がいたらしい。この人は学もあり人格や経
歴もすばらしいものがあるのに、権力に背を向けて隠棲した生活を送ってい
るのである。こういう人は、たぶん立派な理由をつけて引っ込んでいるのだ
ろうが、実のところ権力が欲しくてたまらない人なのだろう!ただ、自分の
思うような権力が手に入らないから、それならいっそのこと引っ込んだ方が
いいのだ。と勝手に思っている我が侭な人に違いない。
実際に政治向きの話をすれば、様々な批判を展開する。これは、野望をしっ
かりと持っている証拠ではないか?権力の行使が自己の欲望と結びついたと
き、組織はすぐに腐敗していくのである。自己の欲望を満たす道が閉ざされ
ているときほど、人は権力的にならざるを得ない。

人事で面白いことは、日本人は人事を”天命”と考える節があるのである。
実際は、上層部の欲望と野望の果てに決まるような人事であっても、それを
”天命”と捉えてしまうのである。なんとも面白いのである。
端から見れば「何が天命なものか!」と思っても、当人は事情はどうあれ”
天命”と思えるらしい。でも、その方が精神的には救いがあるし、現実的に
は次の道を開拓する力にもなる。日本という社会がしっかりとまとまってい
る背景には、こういう日本人の特質があるように思えてならない。
それでも、人事は”自分の権力行使であってはならない”のだ。

占い一言居士:
最近プチ改名などというものが流行っているらしい。ちょっとアクセサリー
的に名前を変えるのである。気に入らなければすぐに捨てる。これは何の意
味にもならない。どうして命名というのか?命を与える名前だからである。
昔元服して改名をするとき、烏帽子親がついてその人間の行く末に責任を持
ったものだ。プチ改名では、人生もプチになってしまう。

05年4月13日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-保養の道は、みずから病を慎むのみならず、又、医をよくえらぶべし。
---貝原益軒(儒者・本草学者)---

健康は自分で守らなければと思う人が多くなってきた。それが、サプリメ
ント市場の活況だろう!
昔は、医者に頼れば何とかなる!くらいに医者を信頼し頼っていた。とこ
ろが最近の医療ミスと、「医は算術!」とばかりの医療道徳や倫理の退廃
は”医”に対する人民の信頼を裏切り続けてきた。

ガンの問題は深刻である。現代では昔の結核菌の問題と同じような大変な
病である。国を挙げてこれに取り組まねば、解決しないという問題だ。と
ころが国を挙げてガン問題に取り組むというには、行政はお粗末だ。ガン
に対する統計的なデータも、各病院によってバラバラなのである。もっと
問題は、相変わらずガンをやっつけようとする姿勢ばかりが目立つことだ。
ガンはやっつけても人が死んでしまっては意味がないではないか?

我が家は一番下の子が、必ずブラックジャックのアニメをみる。漫画本も
読んでいる。そのせいか?まだ小学4年のくせに医学用語をいっぱい使う
のである。彼に将来は?ってきくと、「ブラックジャックのような医者に
なる」というものであった。天才ブラックジャックの面白さは、その技術
の天才ぶりもそうだが、患者や周囲の人たちの心の治療までしてしまうこ
とが面白いのだ。

「自分のことは自分でする」というのが、大元だと思う。何故かというと、
昔の病は「細菌との戦い」だからだ。ところがガンの問題は、細菌とは違
い「生活習慣病」だからだ。戦いは自分自身なのだ。そう考えると、ガン
をやっつけようというよりも、ガンにならない道を見つけようとすること
の方が重要だ。そういう予防医学にもっと力を入れ、患者そのものを見つ
める必要があるのではないか?そういう意味では「人そのものを見つめら
れる医者」がこれから求められるのではないか?医療技術は進歩しても心
に対する技術は後れている。

占い一言居士:
占いの相談に来る人は、最初なかなか本当のことを言わない。「黙って座
ればピタリと当たる」とでも思っているのか?性格や運勢的な状況を的確
に指摘するとぼつぼつと喋りはじめる。命名や相性占いは人のことを知ら
ないとできない。

05年4月12日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-兵は多きを益ありとするに非ざるなり。
---孫子(中国の兵法家)---

「烏合の衆という」という言葉もある。
孫子の兵法はあまりに有名だが、基本は如何に勝つか!であり、戦わずし
て勝つ!ことなのである。日本では「勝てば官軍!」「負ければ賊軍!」
なのである。だから、情報や心理戦が重要なのだ。いくら優秀な武器をそ
ろえてもそれが決定打にはならない。

関ヶ原の天下分け目の戦いは良い例だろう!兵力において、戦争の形態を
表す陣形では圧倒的に西軍が有利であった。専門家がその陣形だけを見れ
ば、西軍が勝つと読んだに違いない。ところが家康の東軍が勝った。関ヶ
原の戦いは、それ以前から既に情報戦が行われていた。実際の戦場では既
に裏切りの密約と内部分裂が既に決定的になっていたのである。

秀吉の戦の仕方は、常に圧倒的な兵力差をつけてから戦に望んだ。たぶん
若い頃劣勢を強いられる戦いの中で、奇策ばかり講じてきた性なのかも知
れない。奇襲攻撃というのは一度成功すると、どうもそういう誘惑に駆ら
れるのかも知れない。麻薬みたいなものか?旧日本軍も、結局この奇襲作
戦ばかり行って墓穴を掘った。奇襲を正規の戦いのようにしては意味がな
い。

ランチェススターの法則というのがある。一騎打ち戦では損害は五分五分
だが、兵力差のある近代兵器を備えた現代戦では、損害はどうも兵力差の
自乗に比例するようだ。そういう意味では、秀吉の圧倒的な兵力差という
のは、体験的かも知れないが合理的な判断だ。それでも奇策が捨てきれな
いのは、戦争がいつも強者と弱者の戦いだからだ。そして、心情的には弱
者を応援したくなる。英雄もそこから生まれてくる。
どちらにしても結局は彼我の戦力差を考えた「戦略」の問題になる。

占い一言居士:
命名で一番考えなければならないことは、「個人の運勢」よりも、実は親
子の「相性」なのだ。個人の運勢は、親子の相性という土台の上に成り立
つということを忘れてはならない。

05年4月11日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-自分のことは必ず他者から誤解されているし、自分もまた多くの他
人を誤解している。
---本多信一(現代職業研究所所長)---

誤解というのは間違って信じているということになるのだろう!間違って
信じるというのは変な話だが、実体と違う内容で相手が思いこんでいる。
ということだと思う。これも、相手に対する情報不足なのだ。情報が正し
く伝わっていない。情報が相手に届いてない。情報不足から相手が理解不
足になり、そのことが原因で、違う認識をしている。そういうことだ。

もう一つは、誤解の背景には非常に”メンタルー”な内容が隠されている
場合がある。心情的に相手に反発し、または生理的に反発し、そのことの
故に相手を正しく理解したくない。自分の嫌悪感の感情に沿った理解をし
ようと自分をねじ曲げる姿勢が働いている場合がある。

戦争はいつの世でもなくならない。不思議と今の日本では平和が60年も
続いてきただけだ。武力という紛争解決の手法は、最終的な手段だが、有
史以来人間は武器を手にしてきた。最初に手に持ったのは石だ。アベルに
嫉妬したカインがアベルを野に導き出して殺害した。人類最初の殺人とい
われている。これも、神がカインの供え物を受け取らなかったことを恨ん
での殺人といわれている。

信じていたのに裏切られた。そういう話をよく聞く。裏切られたわけでは
なく、最初から騙されていたのだ。正しくは信じるに足る情報を持ち合わ
せていず、相手が信頼できると勝手に思いこんでいたにすぎない。騙すと
か騙されるというのは、そういう意志を相手が持っていた場合におこる問
題だ。そうすると、この世はやっぱり狐や狸が跋扈する世の中なのかも知
れない。いや情報を正しく判断する訓練不足なのだろう!

占い一言居士:
最近命名の依頼で多いのは、画数の「吉、凶」にとらわれる人が多いのだ。
心情的にはわかるのだが、一つの数字だけで「人生が吉や凶になってしまう!」
ということはないのだ。命名するというのはそんなに単純なものではない。

05年4月10日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-どの人もこの人も、決して自分が悪かったとは言わないのである。
---森瑶子(作家)---

人間は自分の非をなかなか認めないのである。いろんな不祥事が起きると、
偉い人は結局「私の不徳といたすところで・・・!」となり、自分の何が問
題でどういう原因でこのような事件になったのだとは決していわない。まあ、
謝罪が裁判問題などで自分に不利な証言ととられてはかなわないからだろう
が、それでも、責任をとらないという体質は日本人独特のものだろうか?

三菱自動車のリコール隠しの問題がちょっと前まではやかましくいわれてい
た。重大な事故が起きたからだ。幹部は謝罪会見しまくりで、最近では僕は
三菱の車が自分の前を走っていると、「あ、燃える車がいる!」などとすぐ
に思ってしまう。不思議なことにあれから、三菱の燃える車はどうなったの
か?どのくらい改善されて問題の原因は解決したのかなどの様子はマスコミ
からも伝わってこない。そればかりか、経営の安定化の為に他の企業の車を
OEM生産するという。「え、また燃える車の予備車ができあがるの?」な
どと思ってしまう。

最近、歌手の森夫妻の離婚騒動が持ち上がった。人は何故離婚するの?と問
われたとき、歌手の前川清は「結婚するからさ!」といったとかいわないと
か?そんなこといえば、様々な事件を起こした人は「生まれてこなければ良
かった!」ということになりかねない。
出発は、愛情が動機であったに違いない。それが時を経て、「三菱の燃える
車」のように、何が原因で問題が生じたのか自分でもだんだん分からなくな
ってきてしまう。気がついたときにはどう収拾して良いのかそれさえも分か
らないというようなことになりかねない。

今から2500年前のお釈迦様はこういう複合的な原因で起こる社会の様々
な問題を見事に整理した。何事もきっかけになる大本の原因があると!そし
て、その小さくても大本になる原因が様々な原因を呼んでくる。それが”縁
(えにし)”であると!そして、ある結果が生来せしめられるようになる。
人々はその結果の報いを受けなければならないと!そこまでいって問題は解
決したといえるのである。さて、件の三菱自動車は「報い」を受けたのであ
ろうか?そうでなければ、まだ三菱の問題は解決していない。

05年4月9日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-われわれは短い時間を持っているのではなく、実はその多くを浪費している
のである。
---セネカ(ローマの哲学者)---

時間を管理するのは本当に難しい。時は流れて、いつの間にか年をとって
いる。年の話をするのは嫌なもんだ。それだけ年をとってきたのかも知れ
ない。いつの時代でも時間の有効活用というのはなかなかできない。
時間がこのまま止まればいいなと思ったことが何度かある。僕だけではな
いと思うが、みんながそういう想いを経験したことがあると思う。

小さいときからよく計画を立てた。ところがその計画というのは一度とし
てそのままうまくいった試しがないのだ。全くの挫折と敗北感の連続であ
った。そこで考えたものだ。「計画とは破るためにある」と勝手な理屈を
唱えて自分を慰めていた。もう、時間とつきあい始めて半世紀が過ぎてし
まった。

目標を持つことは面白いものだ。自分がその目標に向かってできてもでき
なくても何かやっている。それが良いのだ。いつの間にか計画は時間との
戦いではなくなっていた。計画は目標になっていたのだ。立てた計画を実
行することが問題ではなく、立てた目標がどれくらい実現できたかが面白
くなったものだ。次は何をすべきかが見えてきた。

時間というのは実は心の概念だ。自分の観念の世界で生きている。それが
時間だ。だから、静かに瞑想にふけるときも自分の中では時間はすごいス
ピードで動いている。反対に身体を動かす活動そしているときに時間は止
まっているときがある。時間は有効に使うというが、そうではなく時間は
楽しく使うものなのだ。「忙しい人ほど余暇を楽しむことができる」とい
うが、それは時間がないからだろう!本当は自分の考えている長さの時間
という基準を持つことなのだ。自分「ゆとりタイム」は浪費ではない。

05年4月8日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-日ざかり泣いても笑ふても一人
---山頭火(漂白の俳人)---

「泣いても笑っても我ただ一人」種田山頭火の胸中は、人のたどり着く悲
しい結論なのかも知れない。
生まれ出るときただ一人、死ぬるときもただ一人。「裸で生まれたのだか
ら、裸で彼処に帰ろう!」そう悟ったようには割り切れないのが人間なの
だろう!

一人と開き直る強さがあれば、それはそれで良いことだと思う!
一人と開き直れないのが人間だ。どこかに人とのつながりがないとやりき
れないのも人間だ。それだけ弱いものだとも思う。それでも人のつながり
を持つことは返って強いことではないかとも思ったりする。
まったくそこまで自分の弱さを見つめ続ける意味があるのだろうか?

諸行は無常であるとお釈迦様はいった。それは、変転流転する世の中の有
様をいったものなのか、それとも別の何かをいわんとしたものなのか?真
理はただ一つ、「つねならむ」それは物事の発展の条理を説いたものに他
ならないと思う。そしてそれは縁起によってつながっている。すると発展
である無常は一人ではないことを意味する。

無理に一人を強調する何かが、あったのかも知れない。ひょっとすると一
人を強調することによって、誰かを待っていたのかも知れない。だとする
と悲しいね!四国88カ所を回るお遍路さんは「同行二人」一人でも御大
師さんといつも一緒だということなのだ。この方が明るくて楽しい。
「一人でも同行二人」この方が人間として正解だと思う。

05年4月7日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-人の楽しむを楽しめば、人もまたその楽しみを楽しむ。人の憂うを憂えば、
人もまたその憂うを憂う。
---白居易(中国の詩人)---

現代社会と都会は人のつながりを拒んでいる。
というよりは、人とつながることができないで苦しんでいるといった方が
いいのかも知れない。人のつながりが希薄であればあるほど、その分だけ
人は喜びも悲しみも共有できないでいる。孤独というのはそういう心の共
有という部分がないことなのである。

喜びの共有はリスクも大きい。裏切られれば悲しみは自分一人だけになり、
悲しみの大きさは2倍になる。共有やつながりが切断された経験がふえて
くると、必然的に共有を拒否するようになる。そうなれば、もう人は自分
であって自分ではなくなるのである。自分を形成しているものは、実は自
分とつながりのある人たちであったはずなのだ。

演歌の世界は、ほとんどが怨歌になってしまっている。今まで人は苦しみ
とか悲しみがあまりに大きくてそれを一人で背負ってきているような錯覚
を持ってきた。だから、そういう苦しみを自分以外の人も皆背負っている
と思うと、歌の世界で感情を共有してしまうのである。
でも歌の世界では、感情は共有できても、共鳴はできない。人の素晴らし
いところは、共鳴することで力を大きくすることができるところだ。
本当は喜びの共鳴が人間の本来ある姿なはずだ。

人の楽しみを楽しみとし、人の悲しみを悲しみとできる人間になれればい
い。でも世の中は、人の悲しみを喜び、人の喜びに嫉妬し、人の苦しみを
喜ぶという偽りの心の姿も同時にあることを忘れてはならないのだ。
それらを知りつつ、人の心と共有し、共鳴したいものだ。
そういう体験をちょっとでもできればすごい財産になる。

05年4月6日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-課長、部長、社長も、包丁、盲腸、脱腸も同じだ。要するに符丁なんだ。
---本田宗一郎(本田技研工業創業者)---

付けられた”値段”だけの仕事をしろよ!そういいたくなる上司というの
は沢山いる。本田宗一郎氏は、役職なんて”値札”と同じだといっている
のだろう?どんなに高い値段が付いていようが、それを使う人にとって見
ればその物の持つ使用価値があるかどうかなのだから、使えなければ買わ
ないし、必要なければ捨てるしかないのである。

そう思うと面白い!課長という値札をぶら下げた”商品”がそこに座って
いる。その商品を買うか買わないか、使うか使わないかはお客である”社
員”次第なのである。中には捨てたくなるような”部長値札”もある。そ
の椅子に座るまではしゃかりきになるが、一度座ってしまうと何もしなく
なる。大学にはいるまでは勉強するが、一度はいってしまうと遊びまくる。
入ってしまえば価値が決まる。そう思っているほど、世の中は甘くはない
のだ。

鈴木建設の”浜ちゃん”はたいしたものだと思う。漫画の話なんだけど、
釣りバカで偶タラで、遅刻の常習犯で、普段は仕事らしい仕事はほとんど
していない。”課長値札”からはいつも怒られているし、というわけであ
る。こういうレッテルを社内から貼られていて、みんな”浜ちゃんだから
”と大目に見ている。人間というのは、そういうレッテルをどうやって作
るかというのがなかなか大変なのだ。”浜ちゃん”はそんなんでありなが
ら、ここぞというときには営業力を発揮するから、なかなかのもんなんだ。

評価というのは、自分でレッテルをつくり、そしてそのレッテル以上の仕
事をしてみせると高まるものなのだ。「敵に回すと怖い」「あんなんだけ
どやるときはやるぜ」「優しそうだけど、実は怖い」「かっこつけている
けど、本当はダメなのよ」などというものだ。
”値札”についている値段以上の使用価値が認められたとき、人は喜んで
くれ、感謝し、「ありがとう」という言葉が出るのである。
最近は高い値札の割には、食欲をそそらない”符丁”ばかりだ。

05年4月5日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-議論の前から、”負け組”になってしまう人がいる。
---坂川山輝夫(現代コミュニケーションセンター代表)---

何かはじめる前から意気消沈しているか、それとも何かうまくいきそうも
ないななどと考えていると、本当にうまくいかないことが実現してしまう。
そういうことってよくある。その辺の感覚は不思議なのだが、これは当た
ってほしくないのに何故か当たっちゃうのである。

日露戦争の時の連合艦隊司令長官に”東郷平八郎”を任命したのは、「あ
いつは昔から運の良い奴だった!」ということらしい。人にはそういう”
つき”に恵まれる人もいるのだ。悪い奴なのに、何故か悪事が発覚しない
ですぎてしまう奴がいる。そういうのを運が良いというのかは別として、
その時限りを見れば、勝敗を決める大きな要員になっていることは間違い
ない。

「小次郎破れたり!」有名な巌流島での武蔵と小次郎の決闘のシーンであ
るが、武蔵という人は剣術家というよりは戦略家といった方が良いのかも
知れないのである。遅れて決闘の場である巌流島に着いたのも、潮流を研
究しての作戦だったし、足場の悪いことを自分に有利にするための作戦で
もあったし、有形無形の作戦を立てての最後の仕上げが、咄嗟にでた「小
次郎破れたり!」の言葉だったに違いない。

神田昌典氏の提唱する”感情マーケッティング”という販売手法があるが、
如何に相手の感情バランスを崩すかが課題なのだと思う。そこに商機がや
ってくる。負け組になるというのは、最初から相手の感情に飲み込まれて
いるからなのだ。相手の常識という感情のバランスを崩してこそ、勝ち組
になれるのである。ということは、戦いは既に相手に逢う前から始まって
いるということなのだ。

05年4月4日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-今の世のわかき人々 われに問ひそ今の世と また来る時代の芸術を。
---永井荷風(作家)---

永井荷風は本名永井壮吉。明治12年(1879年)12月3日東京に生まれる。
永井は明治の西洋至上主義的風潮への反発から江戸の町を舞台にした作品
を好み、特に晩年は江戸の花柳界を描いたものが多数発表されている。昭
和27年文化勲章受章。

時代の流れにのりきれない人もいる。時代の流れに反発を感じる人もいる。
それはそれで一つの生き方みたいなものだからとやかく言う筋あいはない。
それでも、どちらにも向かない人は問題だ。時の流れは「神」だからだ。
時の流れにそぐわなければ滅びの道が待っている。時に逆らう人々は、ま
だよい。時を知っているからだ。反対することで時の流れを際立たせるこ
とができる。

戦国の世、今川義元も武田信玄も共に滅びた。時を味方につけた織田信長
はいつの間にか天下に号令をかけるまでになってしまった。その信長も時
の神に背きはじめると、明智光秀によって殺された。その明智は時の神に
利用されただけなのだ。明智の思想は時の流れの中では過去に成り下がっ
ていた。

江戸情緒が色濃く残る時代に生まれ、文明開化の流れに抗しながら今を見
続けたのが永井荷風なのかも知れない。そのことは平成という現代に生き
続ける僕らにも当てはまる。60年、70年安保というイデオロギーの特
殊時代を通り抜け、物質文明化していく今を見続けながら、それでもその
中で生きながらえなければならない何かを感じさせてくれる。そんな中で
も、願わくは「時の神」に置いてけぼりを食わされないようにしたいもの
だ。

05年4月3日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-つくづく淋しい我が影を動かしてみる。
---尾崎放哉(俳人)---

古賀政男先生の「影をしたいて」にある一節「まぼろしの 影をしたいて
雨に日に 月にやるせぬ 我が想い つつめば燃ゆる 胸の火に 身は焦
がれつつ しのび泣く」
一人佇んで、己の影を見つめ続ける人の姿は、何かしら心惹かれる情景で
ある。人が生きることの様々な事情をその影の中に隠し続けているような
のだ。

影は光によって生まれる。その影は闇ではないのだ。光と共にあるもう一
つの光の姿なのだ。陰とも書く。光のやわらかい姿なのだ。光が強ければ
人々は影にあこがれる。反対に光が弱くて陰のようであれば、光にあこが
れる。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て良しと
された。神はその光とやみとを分けられた・・・創世記第一章
太古の昔から光はやみと共存してきたのだ。神は光を見て良しとされた。
といわれたのだから、その光と共にあるやみをも良しとされたと考えてよ
いのだろう。光とやみは、今のような善と悪の対比で考えない方がよい。
光と影は一つのものの両側面なのだ。

東洋人は風雪に耐え、崖っぷちにねじ曲がって生えている松を「美しい」
と見る。光の中身は「影」なのだ。反対に影の本来の姿は「光」なのだ。
共に兄弟と見れば、影も慕わしくなるものだ。
「夕焼け小焼けで日が暮れて・・・」子供の頃は、影が長く伸びてくるの
を楽しんだものだ。大人になっても屈託のない影を慕ってほしいものだ。

05年4月2日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-自分に害なき悪は自分に益なき善にひとしい。
---レオナルド・ダ・ヴィンチ(イタリアの画家)---

人間というものは、なかなか自己中心的なもので結局は自分に得か損かで
結論を出す。どんなにかっこをつけてみても、どんなにえらそうなことを
言ってみても、どんなに理屈をこねてみても、やっぱり得なことしか考え
てない。大義名分はいくら唱えても、結局利害からは抜け出せないのが人
間だ。

義経の大河ドラマを見ていて、頼朝と義経の違いが何となくわかるような
気がしてきた。頼朝の方は、しっかりと利害を見つめて計算をしていた。
一方義経の方は、平家に対する様々な「情」に突き動かされてきた直情派
のようである。利害で動く人間にとって、利害を超えて動く人間は最も苦
手とする存在である。たぶん理解できないからなのだろう。

人間は生まれつき自己中心であるともいえる。そうでなければ、生きてい
くことはできないのだ。それでも、自己中心は人間に元々備わっているも
のだから、それが良い悪いと言うことはいえないのだ。それよりも、自己
中心であった人間がどうやって人のことを考え、自分の考えを成長させて
いくことができたのかがもっと重要なのである。

人間というのは着せ替え人形のようなもので、自己中心という核に様々な
徳を備えた着物を着ているにすぎないのである。誰も裸が良いとは思って
いない。着物を着ている姿に人は人格を判断している。でも人格という着
物は着替えれば、イメージを自由に変えることもできるのだ。
バイブルの創世記第3章に、イヴは善悪知る木の実を食べて、目が開け裸
でいることがわかったとある。
理解するというのは、自己中心を越えて「善悪を知るようになった」とい
うことなのだろう!それが大人になるということなのかも知れない。

05年4月1日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-勉強しても勉強しても、まだ勉強することが無尽蔵に残っていると
いうのは、何と贅沢なことだろう。
---米沢富美子(物理学者)---

勉強が好きな人は、勉強の課題がたくさんあるというのは”嬉しい”のだ
ろうが、勉強の嫌いな人は”たまったもんじゃあない”というわけだ。
そういう人にとっては、最近のゆとり教育というのは”大歓迎”なはずな
のに、どういうわけか”ゆとり教育”は評判が悪い。

うがった見方をすれば、どうも勉強が嫌いで、勉強してこなかった人が社
会に出てみて、如何に勉強が大切かがよくわかったために、自分の子供に
は勉強させなくっちゃあと言うわけではないだろうか?
それにしても学力低下のつけは大きいな!今後ますます学ばなければなら
ないことが後回しにされちゃってるわけだ。”ゆとり教育”は先生のゆと
りではないのか?なんて、不謹慎なことを言う人もいる。

本当の勉強というのは、自分が取り組まなければならない課題を見つけた
ときから始まる。それで「一生涯勉強!」なんて言う人もいるのだ。でも
そういう人は、たぶん天職を見つけた人なのだろう!なかなか仕事を天職
とできないところに人間の悩みはある。いや、最近は高齢化になってきて、
まだ肉体や知能の衰えはないのに引退させられちゃって、「仕事がないこ
とが辛い!」というようになってきた。

今まで仕事を、「生活の手段」くらいに考えてきた人は、引退後つけが回
ってくるのではないかと思う。何故かというと、ルーチンワークで決まっ
たことをやっていればいい!そういう人は”自分で仕事をつくる”という
ことができないからだ。平素の習慣で身に付いてしまっているから、急に
考えろったって無理というものだ。
日頃から「何事も勉強!」そう考えることが肝要ではないか!


天使の占い・遠山球希

天使の占い(陽陰姓名術協会)について

個人の運勢・運命・相性占い申込
個人相性申込
赤ちゃんの名前・姓名判断申込
命名鑑定申込
運勢・運命を変える改名・ペンネーム申込
改名鑑定申込