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格言日記42

日記風の格言

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07年7月27日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-狂信者とは、頭を切りかえることができず、話題も変えようとしない者のことだ。
---チャーチル(イギリスの政治家)---

ここでいう狂信者になれれば幸せだろうなと思う。ひとつのことだけに夢中
になり、寝ても覚めてもそのことしか頭になく、どこに行ってもその話しか
しない。ひとつことだけに一途になれて、それだけの生活に埋没してどこま
でも自分の世界に浸れて人は関係ない生活ができれば何といいのだろうか!
そういう狂信者になりたいものだ。

などと、考えてみてもそういうのは自分の頭の中だけで、実際は田舎であれ
ば様々な人間関係のしがらみの中におかれて、それだけで頭がいっぱいにな
ってしまいそうなのが現実だ。些細な出来事から村の重大な問題に至るまで、
何らかの形で皆が共有しあっている。それが本当の姿なのだろう!昔、Uタ
ーンなどといわれる前に、都会に若者がどんどん出て行った。そこにはそん
なしがらみから抜け出したい若者の夢や希望があったのだろう!

テレビを見ていたら、沖縄の石垣島の話が出ていた。田舎暮らしの人たちの
話であった。石垣島の素晴らしい自然に見せられて、都会の暮らしにピリオ
ドを打ち移住してきた人たちの話である。大自然の美しさと引き替えにその
地の住民達との密度の濃い人間関係を受け入れなければならないのだ。それ
ができずに悩んで、結局は80%くらいの人が再び都会に帰っていくという。
そうだろうなと思う。人は自分が考えているような世界というのは、自分だ
けの世界だということにはじめて気がつく。そして夢が終わる。

たぶんそういう人は、狂信者になれなかった人なのだろう!無人島に独りで
住んでいる人がいた。正確には無人島ではないですね!その人が住んでいる
のですから。でもその人は、狂信者なのだと思う。周りは関係なく自分の世
界だけで生きているのですから!結局自分が幸せになれる人というのは、極
度に自分の世界を思いこむことのできる人で、人との関係に優先順位のない
人なのではないかと思う。しかし、それでは社会は成立しない。また、社会
はそういう人をどこかで排除するようになる。でも社会には、釣りバカの浜
ちゃんのような人を受け入れるキャパシティもあるから楽しいのだ。

占い一言居士:
隣の韓国では今改名がさかんに行われているという。それは、「私の名前は
キム・サムスン」という人気ドラマで改名を申請するシーンがあるからとい
うわけではないが、名前の故に自分が多くの損失を被ってきたという人もい
るからだ。それだけ名前というものが持つ影響の強さを考えさせられる。だ
からこそ改名は自分の遺伝子スイッチをオONにできる名前にしたいものだ。

07年7月22日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-自分ブランドで勝負できる人間になって欲しい。
---藤巻幸夫(イトーヨーカ堂取締執行役員)---

自分ブランド、いわゆるセルフブランドということだろうが、そのセルフと
いう中には、様々な意味が隠されている。単純には自分自身のことをいうの
だが、そこには自己の確立とか、自己実現とか、自己の見識など奥深い価値
観が隠れている。オンリーワンというのとも少し違うだろう!技術的な能力
と共に、内面的な価値観においても、他と違う何かを持っているということ
だ。

そういうように解釈しているのだが、人それぞれの考えがあっていいのだろ
う!ブランドというのは、すでにイメージとして確立しているということな
のだが、そこには他の追随を許さないくらいの絶対的な世界があるというこ
となのだ。そんな世界を自分が持てれば、それ以上のことはない。それが出
来れば誰も苦しむ事なんてないのにと思うのだが・・・。

昔の人は一芸に秀でるといった。「一芸は多芸に通ず」ということもいうが、
その一芸を確立するまでに大変な労力を要する。職人技というのはそういう
ものだ。そういえば、現代の技術立国日本を支えている業も多くが江戸時代
からの職人の業が基礎になっている。そういう積み重ねてきたものを相続し
てきているというのも凄いことなのだ。だから、技術を確立するだけではな
く、それを伝達するという技術も持っているということがいえる。そこが素
晴らしい。

自分ブランドは、自分の人生をかけて確立するものだが、それは皆が持って
いるはずだ。自分ブランドが何もないという人はいないはずだ。皆何かしら
持っている。それに気がついていない人もいるのだ。社会はあらゆる可能性
を欲しがっている。その可能性というのは人の内面に隠されてしまっている。
だからこそ、それをちょっと工夫すれば表に出る道があるはずなのだ。行政
がちょっと努力すれば、これから団塊の世代に隠れている自分ブランドがい
っぱい出てくるのではないか?

占い一言居士:
命名に対する親の想いは、自然と男の子は男の子らしく、女の子は女の子ら
しくという漠然としているが大きな願いに満ちあふれている。事実子供は自
然の摂理に導かれて育つ。大きな親の想いが命名の祭に、仕事や結婚、人間
会計など様々な願いに細分化されてくるのだ。その湧きいずる自然な想いこ
そ尊いものなのだ。その中心ポイントをずらしてはならない。

07年7月20日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-タイミングには個性があっていい。
---清水博子(作家)---

何事にもタイミングというものはある。それは、ある事象に対して自分の対
応がマッチングしているかどうかということなのである。だからそれがどう
もずれる人がいる。そうすると、そのことが面白かったり、反対にとんでも
ないと怒ってみたりと、マッチングしなかったことに対する人々の反応は様
々だということになる。

普通は合えば気持ちいいことになるし、合わないこともおもしろがることも
ある。するとタイミングという正体はいったい何だろうということになる。
これは「放たれた矢の受け止め方」ということだろう。丁々発止のやりとり
と考えた方がいいかもしれない。投げたボールをキャッチャーがどう受け止
めてそれをピッチャーにどう投げ返すかということだ。そのやりとりがスム
ーズに流れるとタイミングが合っているということになる。

大阪の漫才の「ぼけとつっこみ」というのは、ここらあたりのタイミングの
ずれを狙った言葉遊びを芸の域にまで高めたものに違いない。それにしても、
こういう芸というのは日本人だからこそできるのではないかと思う。ここに
も長い日本の培われてきた伝統が生きているような気がする。漫才の歴史は
古く、平安時代までさかのぼることができる。新年の言祝ぐの歌舞が源流で
あり、尾張漫才、三河万歳などが有名である。一人が口上を、一人が鼓にあ
わせて舞を舞うというスタイルであったが、これが二人の言葉の掛け合い問
答に発展していった。今の漫才という言葉は実は吉本興業の宣伝部が付けた
ものである。

この漫才というのも、日本の伝統的な価値観である「相対的な文化」が隠さ
れている。茶道や花道も主体と客体といった相対する二つの存在の間に美や
情感を表し、それを楽しむということができる。神という絶対的な父性と向
き合ってきた欧米文化とは全く異にするのである。といって中国や韓国など
とも違う。どちらかというと中国や韓国は儒教的な天帝という絶対存在を思
わせる影響が強く、そういう意味では欧米的である。だから日本という国は
東洋でも不思議な国なのだ。それだけ人間くさいということがいえる。タイ
ミングというのは、日本独特の「間合いの文化」ということなのだ。

占い一言居士:
占いというといまだに、「私いつまでいきられますか?」こんなことを質問
する人がいる。占いで人の生死が分かるなら神様や仏様入らないということ
になる。いい加減な占い師ほど人の生死や運不運の不安を駆り立てる。もと
もと占いは今後の方向性を決めるためのものであり、それによって様々な準
備をするためのものである。神や仏の領域を侵す占い師は言語道断だ。

07年7月17日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
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格言-青年時代には日々は短く年は長い。老年時代は日々は長く年は短い。
---バクーニン(ロシアの無政府主義者)---

無政府主義というのは、アナキズムと呼ばれるがその思想は必ずしも一様で
はなく自由主義から共産主義、個人主義まで様々な内容を内包している。し
かし、極論的な理想といえばいえないわけではない。誰しも国家から管理さ
れたいなどとは思ってはいないだろう!しかし、現実は国家という庇護がな
ければ世界という隣人と月あることは困難なのだ。必ずしも隣人がいい人と
は限らないことの方が多い。

人生という長いスパンで物事を考えると、やっぱり平等なのかも知れないと
思う。人間の欲望と心の安心立命とはどうも相反するような木がする。しか
し欲望がなければ発展はしないし、その欲望が人間を不安に陥れる張本人で
ある場合もある。若いときに頑張った人が年をとってもそれを維持すること
ができるであろうかというと、それも疑問だ。若いときに無茶をした人が年
をとっても同じようにむちゃくちゃな人生を送っているかというとそうでも
ない。

ストレス社会というのだが、ストレスは敵ではない。ストレスをどう扱うか
という人間の方の知恵が試されているだけなのだ。太古の昔から人間は、強
力な敵に囲まれていた。非力な人間が自然界の頂点に立つ万物の霊長といわ
れるようになれたのは、常にそのストレスを乗り越える知恵を持ってきたか
らに他ならない。青年時代はよく考えたものだ。この僕に金と権力があれば
もっと世の中をよくすることができるのに!何と神は不公平なのかと嘆いた
ものだ。年をとって今は、もしもっと強靱な体力と健康が備わっていれば、
もっと世の中に役に立つことができるのに!と嘆いている僕がいる。

考えてみれば、無政府主義者だろうが、自由主義者だろうが、個人主義者だ
ろうが、結局は人間というのは己の与えられた環境の中で自分を自分で規定
してしまって、勝手にカテゴリーをつくってしまっているのだろう!確かに
社会的な制約はある。それでも、その中で自分の可能性を生きる人は過去で
もたくさんいた。福沢諭吉は「門閥制度は親の敵」といったそうだが、それ
でも封建社会が残した遺産は社会的に見れば偉大なものがある。今の社会が
後世に何を残せるかは青年や老人の生き方にかかっているはずだ。

占い一言居士:
相性占いをして欲しい人は、相手がどうなのかということばかり気にしてい
る人が多い。だからそういう人は、いつまでたっても本当に相性の合う人を
見つけることができないだろう!自分がどうあるべきかという主体性があっ
て相手の相性というのが分かる。だから、運命の人などと思っている人は永
遠に運命から見放されることになる。

07年7月11日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
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格言-私とあなたは秘密が守れるわよね。同罪ですもの。
---姫野カオルコ(作家)---

秘密を共有するというのは、これが一番いい方法だ。何かというと仲良くなるということのためである。人は一生懸命仲良くなろうなろうと努力しても、そう簡単に仲良くなれるものではない。そこには、何か共通の要素が必要なのだが、それは、相当時間をかけなければ「何か」を見つけることはできないと思う。中には、釣りバカの浜ちゃんみたいにすぐに仲良くなってしまう天才もいるが、人はそう簡単ではない。

夫婦も共有する秘密があればいいということになる。だから、「敵の敵は味方」というように、共通の敵を持つことも時には必要だ。だから家庭というのは社会の縮図というがその通りなのだろう!嫁と姑も仲が悪くても、姑はあまり気にしない方がいい。姑を敵にして夫婦がうまくやっているという場合もあるのだ。だから、いちいち目くじらを立てていると、命がいくつあってもたまらないことになる。

嫁と姑の中を裁くのは、男としてはなかなか至難の業なのだが、例えば姑の知らない嫁のへそくりの場所を知っている。一方姑である母親のへそくりのあり場所も知っている。というように二人の共通の秘密を持っていれば、この二人に対してちゃんとした発言権を持つことができる。まあ、そんなぎくしゃくした家族はないにしても、多かれ少なかれそういう小さな出来事をちゃんとしなければならない。その辺の呼吸を心得ることも必要なのだ。

昔から、いいことをしようなどというスローガンはいっぱいあるが、世の中悪いこと共有する方が結束力は固いのだ。だからいつも正義はやられ、悪が勝というようなことになる。だから正義が勝つには危機感をしっかりとあおらないと結束しないということになる。同罪という観念は強い結束力を持つように思えるのだが、それは一過性のものだ。人の絆は永遠性を持つためには、悪の共有よりも事情圏と心の共有するという方がずっとうまく行くはずだ。

占い一言居士:
三重県のデパートが「お休み処」を「おもてなし処」と改名したそうだ。この改名は効果が期待できそうだ。何故かというと、お休みというのは、「勝手に休めバー」ということになるが、「おもてなし処」というのは、ちゃんと接待してくれるという意味があるからだ。このように改名というのはイメージを大きく転換するチャンスでもあるのだ。

07年7月8日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
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格言-表情の読めない相手と話をするのは、気疲れするものだ。
---ヴァシィ章絵(作家)---

表情というのは、その人の内面が現れるのだが、現代はその表情を隠す訓練
をした人が世の中をうまく渡ることができるらしい。そういうことでは、田
舎は面白い。やっぱり自分が素直に出る。だからこそ、ぶつかりも出るのだ
がそこが問題解決の早道だ。コミュニケーションをどのようにするかという
のは、その国の文化が出る。会社でも組織でもそうだろう!持っている文化
がやっぱり出る。

心が態度に出るというのは、全部が全部ではないのだが、普段とは違った何
か違う仕種とか、ちょっとした表情というのがある。それを見逃さないこと
だ。ところが人間というのは慣れてくると、そういう表情もそんなもんかと
思って軽視してしまう。人間というものは大きな石はちゃんと見えるからよ
けてとおるが、小さな石は見落として結局その小石につまずくことになる。
だから人は自分をちゃんとオープンにすることがいいのだ。

そういうことでは、隠し事のないのが田舎だ。実家では隣の晩ご飯まで知っ
ているということが昔はあった。それだから、いじくらしいこともあるのだ
が協力関係もできる。能登の宇出津の「あばれ祭」に行ってきた。この祭は
一度は行ってみたかった祭なのだが、聞きしにまさる「祭」中の「祭」と思
う。ここでは、何も隠すものもない。誰も、声をかければ家の中でおよばれ
できるらしい。小賢しい知識をひけらかせばかえって人間性を疑われる。裸
のつき合いというのは心の裸ということだ。

「目は口ほどにものを言う」というのはことわざだが、相手の目を見ていれ
ばその表情で目の動きが変わってくる。そこまで見ると、この人は何かを隠
しているとか何かまだいってないことがあるとか、様々なことが憶測できる。
でも、そこまで人を観察しなければならない世界もしんどいものだ。政治の
世界は今でもそうだがひとつひとつに意味のある行動をしている。それを悟
かどうかが分かれ道となる。そういう意味では日本の察する文化というのは
凄いことだと思う。それでも、相手の表情を読まなくてもいい「家族水入ら
ず」というのがやっぱり一番ではないか!

占い一言居士
命名について考えてみよう!名前は個人を特定するものである。その個人を
識別するという以上に、実は個人の持っている内容まで影響を与えてしまう
ということなのである。そこに命名の素晴らしさと、怖さもある。命名は個
人の持つ器を決める作業と考えればいい。だからこそ、真剣勝負といえる。


天使の占い・遠山球希

天使の占い(陽陰姓名術協会)について

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