★運命式:
22 19 32
13 35 22
26 16 25
★運命式からみた島津義久
大将というのは、戦術や作戦の結果が出たときにどう対応するかということでその真価が問われるようになる。
島津義久の特長は、彼の社会的な性格から来る戦略性にある。長い目で見た戦略的な経営と作戦の巧みさ、それになかなかの創意工夫型の人物である。
それにもまして優れていたのは外交能力の高さである。
よく考えられた戦略に外交力が加われば、一大政治力を発揮することになる。
島津義久という武将はそういう能力を持っていた。だから、自分が戦闘能力を持つ必要はなかったといえる。それらは弟たちが十分に持ち合わせていた。だから、その力をどう使うことができるかが問題ということになる。
九州という都から離れた地域にいたことが大きな影響を与えている。島津家が大きな力を持つようになった頃には天下はすでに方向性が決まっていたのだ。
それが秀吉の九州征伐である。この時、島津軍は圧倒的な兵力さに負けることになる。しかし、滅亡をまぬがれたのは兄弟が皆徹底抗戦を主張する中で、早々と義久が降伏をして、外交力で減封をされたが家を残したということである。
これもリーダーの資格の一つである。
それから、関ヶ原以降の戦後処理である。島津家は西軍に与し敗戦の憂き目にあった。本来ならばお家断絶のはずだがここでも外交戦で島津は勝ち残ることができた。ここでも義久の特殊な外交能力が功を奏した形になった。
時代の神が味方をしていれば、島津家が西方から都に進軍してきた可能性もあったといえる。
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