◆たかが命名、されど命名


●たかが命名、されど命名である!

名前に「何故こんな字を付けるの?」というような名前を持つ人がいる。
歴史上ではわかりやすいのが豊臣秀吉である。
彼の産ませた子?である第一子は、”棄丸”と命名された。
どうして「すてまる」なんて変な名前を付けたりするのかというと、昔は子供がちゃんと育って成人する可能性がとても低かったので、無事に育つようにということで、こういう名前を付けたのである。

”人が死ぬ”というのは”死に神”にとりつかれると信じられていたので、一度棄てた形にしてそれを拾って”死に神”を騙すのである。

まあ、涙ぐましい努力をしたのである。
現代のように医学が発展していなかったので、こういう事しかできなかったのである。

それでも、こういういわれを聞くと”親の深い愛情”が何となく伝わってきそうである。
それでも秀吉の場合は、”死に神”を騙すことができなくてこの棄丸君は三才でなくなってしまう。

次に淀殿に産ませた子?に名付けられた名前が、これも第一子と同じような意味から、「ひろい」と命名された。一度捨てて、それを松浦讃岐守に拾わせて、皆のものに「ひろい」と呼び捨てにさせた。後の”秀頼”である。

別の意味で彼も”死に神”にとりつかれてしまったのであるが、名前一つにも親の苦労が忍ばれるというものである。


●……ここで一言……●

名前とは何か?ということである。
「名」とは丹羽基二さんによると、元々月の字が夕暮れ時、月の光は暗いので点をとって「夕」となり、下に口がつくのは、暗くて相手がわからないから口を開いて”あなたは誰!”と呼ばざるを得ないことからついたのだそうである。
どうもこれは、中国の漢字のとってつけた説明のような気がする。

元々古代の日本は「やまとことば」を使い、朝鮮半島の文化を色濃く反映していたから、古代朝鮮とも親しい間柄であった。

古代朝鮮では、「私」と呼ぶとき、太陽の子を表す「ラー」という呼び方をしていた。
この「ラー」は神聖なので、「ナー」と呼ぶことになった。
「ナー」は私、「ノー」はお前、という意味だ。
いずれにしても、「名・ナ」は一人称、二人称として使われたのである。


●古代の日本で名前は”秘名”であった??

古代の日本では、「名は体を表す」の諺のように、「何は魂が宿っていて、呼ばれると魂が相手に引きつけられ、相手の虜になる」と信じられていた。

陰陽師・安倍晴明でいうところの「呪」である。
もしこの名前を相手に明らかにするときには”身も心もあなたに捧げます”という意味なのだ。

それくらい、親に命名された名前の持つ意味は大きく、またそれを知られることで利用される恐れを抱いていたのである。
それ故に、自分を表すときには、ペンネーム、雅号、通称といったものを持って、家族にも友人にも世間にも自分を表現して創ってきたのである。

それが普通であった。
現代のように、本名そのまま名のるということはなかったのである。

女性の場合特にその傾向が強く、名前はひた隠しにされた。
多くはニックネームのような呼ばれ方をした。
例えば、源氏物語で有名な「紫式部」は、紫の物語を書いた式部教の娘という意味である。清少納言は清原氏の出で、少納言の職にあったために呼ばれた。 更級日記は、菅原孝標女という具合である。

いずれにしても、命名された名前というのは、その人そのものを表すことになり、名前自体が全体像を示すのであるから、この名前を疎かにするというのは、自分自身を疎かにするということにつながりかねないのである。

それで昔の人は、いろいろと知恵を使った。実名が使えないので仮名を使ったのである。

それが字名であったり、雅号であったり、通称であったりしたのである。
そういうところで自分の「運勢」を創っていったように思うのである。


●通し文字と名前の襲名

通字という名前の付け方がある。
別にこれにこだわらなくてもいいのだが、家という制度が明確であった頃は、誰のどこのこということが、名前を聞けばわかるのである。

例えば、平氏は平清盛、平重盛、平維盛などというように代々”盛”がついた。

源氏では源義家、源義親、源為義などと続く。
織田信長の織田家は”信”の字、ちなみに我が遠山家の明智遠山氏族の直系は代々”影”の字がつく。

こうして、家が分家をすれば「通字」も新しく変えてその家の通字を創るようになる。

こうして「家」という有機体が維持されていくようになるのである。

封建的というかも知れないが、そういう言葉で一笑に付すには問題がある。

それは現代社会では「家」という有機体が崩壊してしまうことにより、様々な深刻な問題が出てきたからである。

もちろん「家制度」が様々な社会的な可能性を封じ込めてきた過去も見逃せないのであるが、「家」という有機体のあり方まで否定してしまう「個人主義」はもっと問題がある。

通字が発展すると、「襲名」という形が出てくる。
これは、「芸を相続する」という意味もあるのだが、それ以上に成功した”親の運勢”を引き継ぐという意味が大きい。

こうすれば、新たに運勢を開拓する努力に比べて、先人の業績を相続しながら、その歴史の上に自分の人生を追加することができるからである。

既に道はできているのである。
歌舞伎の世界では何といっても”市川団十郎”であろう。
この初代団十郎は成功を収めたが、波乱に満ちた生涯であった。

それ故、「団十郎」を襲名するということは、その人生に”波乱”という要素はつきものなのだ。その位、「名前の襲名」というのは影響があるのである。

いずれにしても、「家」という有機体は、これを発展させれば単なる個人主義よりももっと味が出てくるのは間違いない。


●歴史上のあの家の子孫は今・・・?

◆宮本武蔵・・・実子ではないが、実兄田原久光の子の「伊織」を養子として迎え小倉藩に仕官させた。その後、小倉藩の家老になり代々家老職を受け継いだ。

◆鬼平こと、長谷川平蔵・・・実在の人物で400石取りのれっきとした旗本である。
幕府での実際の役職も、「火付盗賊改方」で寛政の改革の折には石川島に人足寄場を設置することを老中松平定信に進言している。
なかなか骨のある人物であったようだ。だから定信はどうも嫌っていたらしい。

◆大岡越前守忠相・・・伊勢の山田奉行のときに当時紀伊藩主だった徳川吉宗の目にとまり、吉宗が8代将軍につくと江戸町奉行に抜擢され、名奉行として名をはせた。
その後三河西大平藩1万石の大名に出世をした。
明治には子爵になり現在に至る。

◆遠山左衛門尉金四郎影元・・・名奉行遠山の金さんだが、実在の人物である。
江戸時代後期美濃の国明智荘に6千5百石の大旗本がいた。

元々の本家は美濃苗木藩(現岐阜県中津川市)1万5千石の大名である。 その分家で長崎奉行や勘定奉行を歴任した遠山影晋(かげくに)という人がいた。

金四郎はその息子である。遠山影晋(かげくに)は遠山家の養子であった。
ところが養父に実子影善ができた。
そこで、跡目争いを避けるために金四郎は相続を放棄し、家を出て無頼の仲間入りをし入れ墨をしたといわれている。
(でも、見た人は誰もいないらしい)

金四郎の弟ながら跡を継いだ影善は、跡継ぎを”金四郎”とした。
その後、影善がなくなって後”金四郎”が跡を正式に継いだ。
名奉行遠山の金さんの登場である。
(実際は享保の改革の実行者のため、江戸町民を取り締まった)

◆柳生一族・・・戦国時代、柳生の庄の領主・柳生石舟斎は剣術を上泉伊勢守に学んで柳生新陰流をおこした。
その後、領地は筒井順慶によってとられてしまうが、徳川の時代には剣術指南役になり、5男柳生宗矩は大和柳生藩1万石の大名にまで出世をしている。

その後、宗矩は引退するときに所領を4人の子供に分割して与えたため、旗本に戻っている。
これは剣術指南役・大目付という特殊性を配慮したものだと思う。

3男宗冬はその後加増されて1万石の大名になっている。
尚、剣術家としての柳生家は尾張藩士となった宗矩の兄厳勝(よしかつ)の子孫が今も代々伝えている。

●リスクのある名前がいい?

●特集”何事かなさん”とするなら、リスクのある名前がいい?ほんとう?

赤ちゃんの名前を考えるとき、できる限り無難で、順調に波風なく、立派に育って欲しいと考えるのは人情である。
それだけ世の中というのは厳しく、波乱に満ちた刺激がいっぱいということの裏返しではある。

ところが世の中で様々な事件をおこす人は、どうも名前のバランスが崩れている人が多いのである。
名前のバランスが悪いということもあるが、自分の名前の運用方法を間違っている人もいる。
その問題は、実は親子の愛情関係にキーワードが隠されている。

このことから、名前というのは一つの可能性を暗示しているものなのです。
やはり、人間の努力というものなくして、道は開かれないというのは古今東西変わらない真実なのです。

ところで、どうして「”何事かなさん”とするなら、リスクのある名前がいい? ほんとう?」などという題を付けたのだろうかというと、本来とっても問題が起きやすいと思われる命名なのに「社会で活躍」している人がいるのである。

もちろん、継続して活躍し続けられるかというと、それはその人の運勢によりますが、少なくとも「何かをする」ということをしているのです。
ではどんな人たちがいるのか!運命式を出してみることにしましょう!

ニュースソースは、新聞記事ですから多分皆さんも身にしておられることと思います。公表された記事ですから、実名を出します。

春田博 氏(シチズン時計相談役)
15 ○○ 26
10 ○○ 17
○○ 13 18

杉浦國夫 氏(杉浦工業社長)
21 ○○ 28
11 ○○ 21
○○ 15 25

義家弘介 氏(ヤンキー先生 横浜市教育委員・当時)
27 ○○ 28
17 ○○ 15
○○ 9 19

喜多甚一 氏(アクティー社長)
19 ○○ 27
13 ○○ 15
○○ 10 16

中村隆志 氏(ビジョンワールド社長)
18 ○○ 22
11 ○○ 18
○○ 18 25

これらの人たちの運命式の特徴は、総じて女性数が多いことである。
決して、強烈な男性数の個性の持ち主ではないということだ。
それでは、そういう人がどうしてリーダーとして、創業をすることができたのかという疑問が残る。

まあ、シチズンの相談役である春田氏はサラリーマン社長ではあるが、バブル崩壊後の実質的な立て直しの大なたを振るった意味では、創業者のようなところがあると考えてもいいだろう。

これらの人たちの運命式は、特殊なのである。
その特徴は普通は絶対に付けない数字を持っているのである。
そこは自分の精神状態をコントロールする場所だからである。
これらの人とよく似た運命式を持っている戦国武将をあげてみよう!
かの有名な武田信玄である。
彼の運命式を観てみよう!

<武田信玄の運命式>
18 ○○ 22
13 ○○ 14
○○ 14 19

武田信玄という名前も、決して強い数字を持っているわけではない。
もちろん、入道して”信玄”を号したのであるが、この名前の持つ不思議な力が、武田家の運命を左右したのだから 捨てておくわけにはいかない。

信玄もこの人達も、自分以外の大きな力が働く要素を運命式の中に持っているのである。
要するに、自分自身の持つ運命式の力はたいしたことはないが、先祖など自分以外の目に見えない力が働いて、自分の運命式を動かすということがいえるのである。
もちろん、当のご本人がそういうことを自覚しているかというとそうではない。

普通は、こういう運命式を持つ人は、心の心理状態の変化が激しく、エレベーターのように上がったり下がったりと、自分の感性だけで動いていくので、本人も大変なのであるが、周りはもっと大変なのである。
心理的に安定しなければ、どうしようないのである。

こういう運命式を持つ人たちが活躍できるのは、多分に”自分以外の力”のせいではあるが、それでも本人が人の為に何かいいことをしなければ、結局は信玄のように自滅の道を行かねばならないことになる。

信玄の場合は、天倫の法度に違反した為上洛の途上で倒れることになってしまった。
(敵の武将と縁戚関係を結び、その宴席に招待し、相手を毒殺し、その娘を側室におき、領地を戦わずして奪った)

信玄のように、この運命式を持つ人は常に「人の為に!」というキーワードから逃げられないのである。
もし自分だけの為に他を犠牲にするようなことを行えば、その瞬間から彼は自分の運命から見放されることになるのである。

もちろん、信玄公がここまで大きな働きができるようになったのも、お母さんの愛情がとても大きな影響を与えていることはいうまでもない。

命名のとき、波瀾万丈と生涯にわたって大きな”責務”をになうことを覚悟すれば、こういう名前を付けることも、命名ではいいかもしれないが、その責任は命名を決定した親がそれを負うべきであることを知っておく必要がある。
リスクを承知の上で、こういう名前を付けることもできるのである。


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